褒めて欲しいことは?過保護を卒業できたこと。過保護だった時は恥ずかしい人間だった。

こんにちは。
たかほしです。
毎日ミューパラを聞いています。
今回のメッセージテーマが「褒めてほしいこと。」だったので
それについてお伝えします。

褒めてほしいことは過保護を卒業できたこと。

今回の記事は自分で自分を褒めて
正直めちゃくちゃ恥ずかしいです。

しかし、メッセージテーマが「褒めてほしいこと。」なので、
勇気を出して書きます。
ですので、今日だけは自分を褒めたいと思いますので、どうかお許しください。

僕が褒めてほしいことは過保護を卒業できたことです。
そして、過保護を卒業して受動的に行動できるようになりました。

実は過保護だった。

僕は数年前までは過保護でした。
僕は視覚障碍者があり、
昔から何かあれば、親や学校の先生が尻拭いをしてくれていました。

僕は「これが当たり前だ。」と思っていました。
その結果、「視覚障碍者だから何でも許してもらえる。」と思っていました。
こんな甘えん坊でした。
そうしていくと、「何かをしてもらうのが当たり前。」という思考が定着していたのです。

過保護に違和感を覚えた。

僕が過保護に違和感を覚えたのは30台に入ってからです。
それが、同じ視覚障碍者の人がどんどん活躍している姿を目の当たりにしたのです。
そして、その人たちの話を聞いてはっとさせられたのです。

それが、
「過保護で育って、このままではいけない。」
「これが嫌だから行動する決意をした。」
「視覚障碍者ということだけで特別扱いをされるのが嫌だ。」と言うことを話していたのです。
僕はこのことばを聞いてはっとさせられたのです。
僕はこの瞬間過保護に対して違和感を覚えたのです。

過保護で危ないこととは?

僕が身をもって体験したことなので正直に話します。
過保護の状態のままだと危ないです。
過保護をされ続けることで、
周囲は助けてくれます。
しかし、成長はしません。
僕はこういう機器に陥っていたのです。
僕は過保護だった時は
「なんでもしてもらえるのが当たり前。」と思っていたのです。
その結果、電車に乗れば、
「席を空けてもらって当然。」や、
クリニックに通院をしていて、
案内してもらえなかったときには、
その受付スタッフに怒鳴ったりしていました。
「視覚障碍者の俺様を優先するのが当然だ。」という横柄な態度をしていたのです。
めっちゃ恥ずかしかったです。
「このままではいけない。」と思いました。
過保護は危ないです。
過保護と言うのは依存を生む要因になります。
そうすることで、いつまで経っても考える能力が養われません。
これが危ないです。

よく「目が見えなくて可哀そうだね。」や、
「偉いね頑張ってね?」と言われていはいませんか?
この言葉を言う人にも問題はありますが、
過保護の状態が続くと、
このように言われてしまうのです。
これを言う人達を減らしたのであれば
過保護から卒業する覚悟が重要です。

僕もこれを考えて過保護を卒業するために行動しました。
とはいっても、今までの性格が染みついている状態だったので
すぐには改善はできなかったです。

考え方を変えたことで「ありがとう。」と言えるようになった。。

僕は過保護だった時は
「俺を優先するのが当たり前。」と思っていたのです。
その結果、電車で座れなかった時には
「何で俺に席を譲らなかったんや?」とずっと思っていました。
病院でのクリニックの受付スタッフの対応が悪かったときは、
大声で院内の中で怒鳴りました。
これも「俺を優先するのが当然。」という考え方が染みついていたからです。

僕は考え方を変えてから
電車で席が空いていないときは
「みんな疲れているんやろうな?」や、
「みんな寝たいんやろうな。」
「俺もしんどいけど、仕事してみんなしんどいからお互い様。」と考えられたり、
クリニックの受付スタッフの対応が悪い時も
「まぁ~忙しい中でも案内してくれている。」や、
「今は忙しいから声をかけるのはやめておこう。」と考えられるようになりました。
その結果、「ありがとうございます。」と自然と言えるようにもなりました。
なお、本当にクリニックの受付スタッフの対応が悪ければ
そのクリニックには行かなければいいだけの話です。

僕は考え方を変えてから
「ありがとう。」が言えるようになりました。
コンビニ店員が僕が買いたい物を持ってきてくれた時や
電車で席を譲ってくれた時にも「ありがとうございます。」が言えるようになりました。

過保護だった時は「ありがとう。」なんて言えなかったですよ。

考え方が変わったことで行動面でも変化が出た。

僕は過保護だった時は
すべて人任せにしていました。
その結果、考える能力が身につかなかったです。
というよりも、僕はその問題に直面した時には常に逃げてばかりしていました。

これでは、いつまで経っても考える能力が身につくはずがないですよね。
それよりも、依存体質にもなっていました。

僕は考え方を変えてから、
行動面でも変化が起きました。

それが、頼ることです。
といっても、すべてを相手に頼るのではなくて、
自分ができる範囲は自分でまず考えて行動すること。
そうしていくと、「ここは自分で考えればできる。」
「ここは少し難しいからできるひとにお願いしよう。」というように線引きができるようになってきたのです。
そうしていくと、達成感が現れたのです。
それが、「自分でできた。」
「自分でできる能力が身に着いた。」と喜べることもしだいに増えていったのです。
そして、言動面でも変化が出たのです。
それが、自己主張はしつつも、
折り合いをつけたコミュニケーションができるようにもなりました。
「できればここまでしたいが、今日難しいのであれば今度でも大丈夫。」や、
「僕はここに行きたいと思います。もし同じ方向であれば、一緒に案内してもらえるとありがたいです。」と折り合いをつけたコミュニケーションができるようにもなりました。

過保護だった時は、
こういう達成感すらなかったですし、
自己主張だけはいっちょ前にしていました。
そして、人が自分の思い通りに動いてくれなければ
人の責任にしていました。
こんな最低な人間だったのです。

過保護を卒業したことでYouTube配信をしたくなった。

僕は過保護を卒業したことで、
YouTube配信をしたくなりました。
そもそも、「なぜ?YouTube配信をしたくなったのか?」というと、
僕は「目が見えなくて可哀そうだね。」
「大変だね。」
「目が見えないのに何でもできるんだね。」などという言葉を受けたのです。
僕は「まだまだ視覚障碍者への理解と言うのが広がっていないんだ。」という残念な気持ちになりました。
だからこそ、「YouTubeで配信しよう。」と思いました。
僕は決して今生きていることに「大変だな。」とも思っていないですし、
自分でも「可哀そう。」だなんて思っていないです。
「目が見えないのにすごい。」と言っている人に一言いいたいです。
「最初から超能力者ではない。」ということです。
もちろん、全盲になって弱視時代と生活が180度変わったことは事実です。
そして、できていたこともできなくなり、
憤りと絶望感も味わいました。

これにより、大きなショックと多くの挫折も経験しました。
僕は「これでも頑張って生きなければいけない。」
「身近な人で全盲になって頑張っている人がいる。」と前を向いて突き進みました。
最初は完ぺきにいくことはほとんどなかったです。
というより、失敗の数が多かったです。
全盲になって外出して電柱に顔を当てた経験は数えきれないほどありますし、
全盲になった今でもこういう経験はあります。
それでも徐々に同じ全盲の人たちと一緒に頑張るために日々行動をしていきました。
こういう小さな経験から大きな成功へと手に入れていきました。

それなのに、「大変だね。」
「可哀そうだね。」と軽々しく言うことは控えていただきたいです。
「この言葉を当事者の視覚障碍者に言うのは大変失礼だ。」ということを理解してください。
とはいっても、この言葉を言われる原因もあるのは事実です。
それが過保護で育ってきた人が多いことです。
こういう人が多いからこそ、
「大変だね。」と言う人がいるのです。
「大変だね。」という言葉の裏には
「私がいないと何もできないんだね」という意味にも繋がるかとも思います。

こういうことを言う人達を減らすためには、
視覚障碍者の僕自身がYouTube配信で
「視覚障碍者はこういう経験をしている。」
「今はこうして頑張って前を向いて行動をしている。」ということを発信していくことが
「可哀そうだね。」や、
「大変だね。」ということを言う人を減らす近道かと考えました。
そうしていくことで、同じ人間として認めあえる人がどんどんと増えるとも考えています。

視覚障碍者があるだけで、
一人の人間として尊重してもらえないのは非常に不本意です。

共に認めあい、
共感しあえる人が増えることで
明るい日本へとつながるのです。
これも過保護を卒業したからこそ、
このような考え方ができるようになりました。

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