弱視時代の自分自身を振り返って。楽しいことも恥ずかしいこともあった。恥ずかしい過去は笑い話だ。

こんにちは。
たかほしです。
私は先天性緑内障で生まれてきました。
26歳までは弱視で視力もありました。
弱視といっても、
人によって基準と言うのが違うので、
私の場合は
視野が徐々に狭くなり、
視力も二十歳を超えて徐々に見えにくくなりました。
視野は舌の視野がほとんど見えず
結構階段から落ちていました。

視力は高校生で0.1あったのが、
高校3年の手術を終えた時には0.1を切りました。

弱視時代の見え方。

私の弱視時代の見え方は次の通りで下。

幼稚園時代から小学生時代。

→通常の距離感でゲームボーイができるほどの視力
→3㍍でようやくテレビゲームができる視力
→テレビも健常者並みに離れて見える視力
→拡大文字で本が読める視力

中学生以降。

→ルーペを使って小さい教科書が読める視力
→新聞や小説並みの小さい文字はルーペがないと読めない
→テレビを見る距離が3メートルほど。
→ゲームボーイや小さい画面はルーペがないと難しい
→ほとんどがルーペがないと難しい視力
→盲人スポーツで弱視プレーができる視力

高校卒業後の視力。

→ルーペがないと文字が読めない視力
→ルーペがないとゲームができない視力
→単独で歩行ができる視力
→盲人スポーツで弱視プレーができない視力になる。
→通学時は形だけ白杖を持って通学
→ボードの文字は大きく書いてもらうと読める
→行動範囲は手引きなしの単独で外出ができる。

20歳から全盲になるまで。

→白状を使った歩行(全く役に立っていなかった我流の歩行)
→徐々に下の視野が見えなくなる。
→視界が濁り出す。
→ガラケー時代、音声機能がないと携帯が使えなくなる
→ルーペでゲームや文字は読める

などです。思い出す記憶をたどれば
私の弱視時代の視力は上記の見え方で下。
人によって「弱視」と言う基準を理解していただくのは
「難しい。」というのが現状です。
ただ、私より視力がいい人もいましたし、
今も弱視で行動している人を何人か見ています。
その人たちは
学生時代と変わらない視力を維持して
単独歩行や
iPhoneを使用している人もいます。
その一方で、学生時代私より視力が見えていた人が
全盲になったり、
一気に視力が悪くなった人もいます。
具体的には歩行訓練を受けたり
点字を覚えている人もいました。
それでも、挫けず行動している人がいるのも確かです。

弱視時代はこんな人間でした。

今でも通院が日課。

私は緑内障で眼圧の変動が激しく、
当時状態が悪かったときは毎月月2回、
多い時は毎週神戸の病院に通っていました。
かつてはこんな状態でしたが
7年前にようやく3か月に1度になるまで通院回数も減りました。
通院って学校が休めたり
仕事が休める喜びがありますが、
待ち時間が長くて仕事に行く時よりも疲れてしまいます。

眼圧が安定しているときは安心できるのですが
眼圧が上がると
薬をのんだり、
それでも効果がない時は手術と言う流れになります。
これは今も変わりません。
病院に通う事が今でも私の日課になっています。

ゲーム馬鹿。

昔からゲームテレビが好きでした。
兄弟全員がゲーム三昧に明け暮れるくらいゲーム馬鹿で下。
主にはポケモンのゲームが好きで
朝から晩までポケモンばかりをしたり、
「兄弟でポケモンバトルだぜ。」とか
アホみたいなことを言っていた時がありました。笑

他にもスーパーファミコン
ドンキーコングや
星のカービー
任天堂までハマり、
戦闘ゲームもやりました。

昔はこれほどゲーム馬鹿でした。
寄宿舎から帰省すれば、
学校が始まるまでゲームして
酷い時なんて勉強なんてほとんどしていなかったです。
さすがに親に怒られましたけどね(笑)。

カードゲームにハマる。

中学生の大ブームと言えば遊戯王カードで下
カードの文字って
新聞の文字よりかなり小さい文字で
カードの効果など書いていました。

しかし、弱視であっても関係なく
小さい文字を頑なにルーペでカードの文字を読んでいました。
カードとメガネルーペがくっついているイメージかな?
好きなことは弱視であっても楽しく遊んでいました。

勉強方法。

一般侯に通っていた時は
国語の教科書は拡大教科書で下。
それ以外の教科書は健常者の人と同じ文字サイズの教科書でした。
盲学校に行くと、
ほとんどの強化は拡大教科書で下。
それでも、レンズを使うと、
文字がスラスラと読める視力はありました。
そして、専攻科まで教科書が読める視力は維持できていました。

外出方法。

高校卒業まで白杖なしでの単独歩行をしていました。
しかし、見え方に異変が出始めた時期でもあったのです。
それが、人や物にぶつかる回数が増えたことです。
当時は置き自転車も平気でしている人が多かったので
その自転車に躓いて怪我をすることも増え始めたのです。
それを同じ学校の人や親からも目撃されてしまったのです。
そして、ついに「白杖を持った方がいい。」と言われたのです。

ただ、まだ弱視という抵抗があったので、
周囲の勧めであっても
「白杖は持ちたくない」と反抗していました。
それでも、家族からは「白杖を持て」と言われ続けました。
それでも頑固を貫き白杖を持ちませんでした。
そうしていくと、寄宿舎に入舎していた僕の後輩が夜に白杖の練習をしている話を知ったのです。
これがきっかけで、
「俺より視力あるけど、白杖を使うんや?」と思い、
「じゃあ、俺も白杖を使ってみようかな?」と考えるようになりました。
それでも、盲学校の人に見られると恥ずかしい気持ちがあったので、
盲学校の人に見られていない通学時に白杖を出していました。
結局、見栄があったので、
「恥ずかしい」とか
「笑われる」という気持ちが先行していたので
学生時代に
盲学校の人には、僕が「白杖を使っている。」ということは伝えませんでした。
今になると、見栄を張っていた自分が馬鹿らしかったですね。

白杖を持つだけで
周囲の親切さが変わったのです。
まだ見えていながら白杖を持っているだけなのに
相手から道を譲ってくれたり
ぶつかっても相手から「ごめんなさい。」とか
電車で立っていると「座りますか?」と声をかけてくれるようになったのです。
「えぇ~????白杖を持つだけでこんなに人が変わる」ということに驚きました。
白杖を持つだけで人の対応は180度変わるんですね。
白杖を持っても変化がなかったのは
下の視野が欠けていたので、
階段や道で転ぶことは日常茶飯事だったのです。
歩行訓練はもちろんしなかったので、
我流で白杖を使っていたので使い方などわからなかったです。
それでも、白杖をもつことで、
道で転んだとき
近くの人が「大丈夫?」と声をかけてくれたのです。
逆に「大げさじゃない?」と思うのですが、
すごく気にしてくれて助かることがありますし、
ありがたいです。

最後に。

私が弱視時代ゲームをしたり、
楽しい事に明け暮れていたことを思い出しました。
「俺、弱視時代こんなに楽しく生活していたんや。」と
記事を書きながら思い出しました。

思えば結構楽しんでいたんですね。
全盲になった今でも行動範囲が広いですが、
「弱視時代も行動範囲は結構広かったんだな?」と思いました。
白杖を持っていても、
階段や道の途中で電柱に頭を打ったり、
めちゃくちゃ、ダサいこともしていたんですね。

単独歩行で日帰り旅行に行ったり
1泊2日の旅行にも行きました。
ただ、白杖の使い方
全盲になって覚えたので、
「今の方が様になったかな?」と思います。

何よりも、「俺は本当に運がよくて、恵まれていたんだ?」と思いました。
それが、学生時代の間に弱視の状態を維持できたことです。
というのも、
高校までに5回も目の手術をして、
医者からは「二十歳で失明する。」と言われていたのです。

正直、落ち込みました。
理療化の勉強中に
「全盲になる日がどんどんと近くなるな」
冷や冷やしながら不安な日々を過ごしていたのも確かです。
しかし、運よく弱視の状態を維持したまま
学生時代を終えたことは素直に喜びたいと思います。
これだけが本当に救いです。
近々は全盲になってからの事を書いていこうと思いますので
全盲になってからの私の記事もお楽しみに(笑)
最後までお読みいただきありがとうございました。

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