家族に進路を反対されたときの考え方。そして、こういう考え方をするのは絶対にNG。

こんにちは。
たかほしです。
最近では、小学生から進路と真剣に向き合っている人も多いです。
その子たちを見ると、「素晴らしいな。」と思う時があります。
しかし、本格的に進路の話になるのは高校2年生頃ではないでしょうか?
ここで、大きな壁があります。
それは、進路に対して、学校の先生や家族からの反対です。

今回は家族に進路を反対されたときの対処法をお話します。
これから、一歩を踏み出す人たちにとっては、「かなり約二立つ内容。」だと思いますので、最後までお付き合いください。

結論、「自分の進路は自分のもの。」という軸を貫く。

結論、これが一番重要です。
自分の進路は自分のものです。
冷静に考えると、自分の進路は親の進路ではありません。
自分の進路は先生のために歩むものではありません。
すべては、自分で歩むものです。
「自分で進みたい。」と判断したから、その進路を決断した訳ですよね。

だから、正々堂々と、自分の軸を貫きましょう。
「自分で進みたい。」と思った道は結構うまくいくことは、僕も経験済なので、ものすごくわかります。
そして、真剣に自分の進路に進む人を応援しています。

高校時代に家族と尊敬できる先生に、「進路を大反対された。」という話。

少し、僕の話をさせてください。
僕は、高校卒業後の進路については高校2年のときから決めていました。
それは、理療という「あん摩、マッサージ、指圧師」
「はり師、きゅう師」の、いわば3療の道に進むことです。

盲学校には、高等部を卒業すると、専攻科と言う道に勧める権利が与えられます。
その専攻科にも、2つのコースがあります。
それが、僕が当時、進みたかった3療の
「あん摩マッサージ指圧師」「はり師、きゅう師」のコースと
もう一つが「あん摩マッサージ指圧師」のみの資格が取得できるコースです。
いずれも3年間勉強して、国家試験に合格したら資格が取得できます。

そして、高校3年生の進路面談で教師に真っ向から「君の低い学習能力では絶対に無理。」否定されました。
そして、その話を聞いた親からも大反対されたのです。
親からは「先生が無理だと言っているんだから、無理に決まっている。」
「もし、一発で試験に落ちたらどうするの?」
「何で?『一発で合格できる。』と言い切れる自信があるの?」
という話が酷い場合で5時間ほど永遠に続いたことがありました。

それでも、一発合格する自信は正直ありました。
はっきり言って、僕は、3年間で3療すべての資格を取得できる自信はありました。
それには、ちゃんと根拠があります。
盲学校で理療化の勉強内容の話を聞いたり、
実際、先輩に教科書を読ませてもらう機会があったからです。
あん摩のみだけの教科書と鍼灸師の内容も入った教科書の内容を見れば
明らかに鍼灸の方が質が濃く、内容が深かったので、
「これなら、大丈夫。」と言う確信が高校時代の間で身についていたからです。
これらのデータを分析したからこそ、自信をもって言えたのです。

それで、家族との対立が、最終進路面談までの間に、4~5回続きました。
しかし、僕は「自分の進路は自分のもの。」という考えは絶対に曲げませんでした。
最終面談になり、親と教師が折れたのです。
なので、自分の信念は曲げない姿勢は大切です。

他人の期待には応えない。

「他人の期待に絶対に応えない。」という考え方も非常に重要です。
自分の進みたい進路に親が反対したから、別の進路を仕方なく進んではいませんか?
厳しい事を言いますが、それ自体が根本的に間違っているのです。
いくら親とはいっても、自分以外は他人なのです。
他人が進路に責任は取らないのです。
だからこそ、自分の進路は自分で決めるのです。
他人の選んだ道に仕方なく進むと、うまくいくどころか、
そうなったときに、他責嗜好になるので、絶対に他人の期待に応えるのはやめましょう。

他人を意識しない。

他人の期待に応えないことと同じように、
他人を意識しないことが大切です。
自分で進む進路は楽しいものです。
だからこそ、自信に満ち溢れて来るのです。

しかし、「他人を意識している間。」というのは、
楽しく進んでいる途上でも、つまらなく感じることがあるのです。
僕の話ですが、「進路に大反対された。」という悔しさがあったときの勉強ってかなりつまらなかったです。
それは、ただ、他人を意識していたからです。
僕には、理療の道に進むときに誰一人も、周りに応援してくれる人っていなかったのです。
むしろ、「あいつが3療とか、マジで笑う。」と言われたくらいでした。
その悔しさがあったからこそ、「絶対にみんなを見返してやる。」という気持ちが芽生えたのです。
しかし、そんなこと考えている間って、勉強どころではなかったです。
「ムカつく。」という感情がかなり、前に出てしまったので、勉強どころではなかったです。

1年生の鍼実技で問題が起きる。

「ムカつく感情って正直に出るんだ。」という瞬間を経験しました。
それが、鍼実技の授業で「毎回授業中に鍼を落とす。」という問題が起きたのです。
そして、それに加えて、「鍼を上手に刺せない。」という問題も同時に起きたのです。
鍼を入れるときに先生に「痛い。」とか
「体内に鍼を入れることができない。」などという問題ばかり生じました。
さすがにこの状態は鍼ができるレベルではなかったので、
1年生の1学期のある放課後に、理療課主任の先生に呼び出されました。
そして、「このままでは、進級させてあげられない。」と言われてしまいました。
かなり、ショックでした。

意識改革をする。

鍼実技の問題で理療課主任の話を聞き、
ショックを取り戻してから意識改革ををしました。

具体的には、ムカつく感情を捨てました。
そうすることで、変化も置きました。
それは、鍼の実技を伸ばしたり、
勉強がどんどんと楽しくなっていったのです。
鍼実技の問題後に、僕は、家で自分の体に練習したり、
犬のぬいぐるみなどを使って鍼の入れ方を覚えていきました。
幸いだったのが、親が鍼を受けるのが好きだったことから、鍼の実技はどんどんと上がっていきました。
そして、鍼実技で鍼を落とす問題もなくなり、鍼の問題がだんだんとなくなったのです。
いつの間にか、鍼の担当の先生にビックリされるようになっていました。
その一方で、勉強の楽しさも、どんどんと広がり、勉強の容量もつかめていきました。
意識を変えただけでこれだけ変化するのですね。

意識を変化させた後に「何で今までできなかったの?」と後悔してしまったのです。

結果を出せば、みんな認める。

僕は国家試験一発合格しました。
理療化の入学当初から「国家試験は、あくまでも通過点。」というのが僕の考えでした。
仕事をしている今でも、その考えは持ち続けています。
しかし、この通過点にたどりつくまでには周囲の反対は耐えませんでした。
周囲に笑われたり、
家族には「国家試験一発合格できなかったらどうするの?」と言われたりで正直辛かったです。
僕は「大丈夫だから、心配するな。」と言い切っても
信用されていなくて最終的には、「じゃあ、国家試験は一回キリ」という条件まで提示されたのです。

僕は「それでいいよ。」と言い、理療化の勉強をスタートしました。
勉強が辛かった時期がありましたが、
勉強の容量も掴み、部活や生徒会などにも積極的に取り組み、
休みの日はゲームや遊びに行く余裕すらもありました。

僕の余裕過ぎる態度が、親としては、目についたのでしょうね。
「そんなに余裕でいるけど、約束覚えているのか?」と言われたのです。
最初は何も言い返しませんでしたが、
この流れが何回もあったので、
僕は「はいはい。大丈夫だから安心して」と言い返すようになってから、
親は勉強に関して何も言わなくなったのです。
追い込みをかけたのは受験生の夏休み明け頃からでした。
家族に外出の誘いをかけられても「国家試験が近づいているから。」という理由で断りました。
そうすることで、「あいつは口を開けたら国家試験と言うな。」と言われていたのです。

でも、自分の人生は自分のものだから、何を言われようと気にしませんでした。
試験がダメでも誰も責任を取ってくれないですからね。
というより、受験生の方が勉強の楽しさが増していたのは間違いないのです。
そして、国家試験は一発合格しました。
自己採点後に「合格の可能性があります。」という報告を先生たちにしました。
すると、「よく、辛かったけど頑張ったなぁ。」という言葉をかけてくれました。
そして、高校時代に当時僕の進路を大反対していた先生たちから
「周りの反対の中、よく頑張った。」
「正直、辛かったんと違うのか?」と先生たちから声をかけてもらったのです。
辛かったのは事実だったので、本心を打ち明けました。
そして、「国家試験は通過点やけど、これからが本番やぞ。」と言われたのです。
あくまでも自己採点で合格ラインよりは明らかに差があったので、「合格。」という確信はありました。
そして、本格的な合格発表があり、本当に合格していました。
そして、周囲に報告をすると、「社会人で成長することを祈っているよ。」と励ましのことばをかけてくれた人や、
友達や家族からも「おめでとう。」というメールが来たのです。
結果を出すと、みんな認めてくれるということを知りました。

かと言っても合格できない場合も想定していたのは確かです。

最悪な場合も想定していた。

自分の進んだ進路は、理想があって進む人は多いと思います。
しかし、その理想からかけ離れている場合であったり、
「挫折を経験する。」などといった最悪な場合も想定する必要があります。
「自分の信じた道は絶対に可能性がある。」と信じて進むことをお伝えしましたが、
かといってうまくいかないことも考える必要はあるのです。
それは、自分に活かせる能力を思い出し、挑戦することです。
過去に人に褒められたことってないですか?
没頭できたことってないですか?
それを思い出すのです。
そして、仕事に生かせると感じたら、挑戦するのです。
それが大切なのです。
僕は専攻科時代にも「もし試験がダメやった場合考えているのか?」と言われたとき、
「大丈夫だから。」と一点張りでしたが、
「その可能性もあるな。」と思っていました。
なので、最悪な場合を考えていました。

それは、「自分に活かせる職業を勉強する。」というものでした。
僕は、「パソコンのタイピングが早い。」と言われていたので、
「もっとパソコンのスキルを上げたい。」という気持ちもありました。
なので、「最悪な場合、職業訓練でITスキルを勉強する。」と考えていました。
浅はかな考えかもしれませんが、当時はまだスマホというツールは普及していなかったのです。
だから、当時はこういうことを本気で考えていました。
とはいいながらも、将来性を見据えていたのは事実です。

今はスマホの普及や、時代の変化の流れで視覚障碍者の仕事の幅も増えました。
とはいっても、まだまだ視覚障害者の進路ってみんなが思っているほど多くないのです。
スマホの普及や、「障碍者雇用促進法。」という法律が導入されたことで
視覚障碍者の雇用促進も活発になってきたのです。
とはいっても、「視覚障碍者によって、仕事内容が規制されることがまだまだ多い。」と思うのが僕の本音です。
ですので、当時から自分の持っているものを活かすことも視野に入れていたのです。
今は無事に理療の仕事を本業として頑張っていますが、
この現状を跳ね返すために、今後も動画配信やブログなども同時並行で続けていきたいと思います。
そして、ここから更にカードゲームも作る予定です。
将来性を見据えることって本当に大切です。

進路に見合った努力はしよう。

これは進路に進むときに絶対持つべきマインドです。
足りないスキルがあれば、スキルを上げる努力をする。
自分に足りないところをカバーするのが、進路を進むときには絶対に大切なことなのです。
分からないことがあれば、放置ではなく、仲間に相談や聞くことも重要です。
そうすることで、努力のポイントが見えて来るものがあります。
放置は絶対にダメです。
その時点で努力を放棄する癖がつくので、粘る姿勢が大切です。

僕が勉強に威力が高まったのは、先輩の「国家試験1000問。」という話を聞いたからです。
最初は、」1000問なんて無理。」と思っていましたが、
結構、やる気につながりました。
そして、1000問解くと、足りない部分が明確化してきたのです。
そうすることで、努力のポイントが明らかになりました。

それが、「得意教科と苦手な強化が顕著に出る。」という事です。
僕が試験に合格できたのは、先輩の、「国家試験1000問」という話を聞けたからだと思います。

応援してくれる人は必ずいることを知る。

進路に進むときは応援してくれる人がいなくて正直辛い事ばかりだと思います。
孤独感に襲われるときってあります。

しかし、同じ進路を歩む人と出会うと、一緒に頑張ろうという仲間も増えてくると思います。
そこで、「応援してくれている人がいる。」ということに気づいてきます。
それまで、かなり時間がかかります。
応援してくれる仲間ができた瞬間ってモチベーションが上がった経験はないでしょうか。
それは、応援してくれる人であったり、
自分のことを認めてくれる人ができたからだと思います。
こういう場合って、結構うまくいくんですよね。
仲間が増えて、切磋琢磨しあえる時って時間も早く感じて、充実感も得ることもできます。

学生時代の僕は応援してくれる仲間がいなく、孤独感に襲われていました。
「自分の存在価値なんてない。」と自己嫌悪に陥りました。
「友達がいない。」というのも辛いですが、
それに匹敵するのが、「応援してもらえないことは非常に辛い。」ということでした。

僕は、仕事をやり出してから、周りから応援してくれる人が増え始めたのです。
働き出したからこそ、家族から、マッサージのことを聞いてもらえるようになりました。
そして、僕からも仕事の近況を話すことも増えました。
今ではマッサージがきっかけで友達と遊ぶほどになりました。
僕は応援してもらえなかった学生時代を経験したからこそ、
「絶対に僕はそうならないように。」と心に決めたのです。
「人の夢は応援する。」というのが、僕の信念です。
とはいっても、
夢を持っている途中でも何かしらの挫折もあるとは思います。
時には諦めることもあるかとは思いますが
僕は夢をバカにすることはしません。

かといって楽する嗜好は僕も許しません。

楽する嗜好は排除せよ。

これは僕も絶対に許しません。
仕事をしたくないから、「楽したい思考」が表に出ると思います。
何も考えていないというのも同じです。
これは家族に反対されても当然ですし、
僕も「甘えるな。」と答えます。
世の中、楽ができる進路なんてないのです。

用は勉強をするのが面倒臭いだけですよね。
「自分の人生は自分のもの。」とここまで言ってきましたが、これに関しては僕も大反対をお勧めします。
楽をしたら、それだけの価値しか戻ってきません。
もしかすると、それ以下かもしれません。
少し現実味のあるお話をします。
楽することで、情弱は生きづらい世の中になります。
要するに、楽する思考こそが無勉強でいたい。」という考えの人が多いので、搾取する人も現れるのです。
結論、「不勉強の人は、詐欺師に付け込まれやすい。」という事です。
これが今の現状です。
「それでもいい、搾取されてもよい。」という人生を選ぶなら何も言いません。
自己責任で選んでください。

進路を反対する人の心理を知ろう。

家族や学校の先生は、
人生経験を経て今の生活をしています。
たくさんの経験をしたり、時には失敗も経験したからこそ、
愛する家族の進路を反対するのです。

その結果、これから進路に歩む子供の未来を素直に応援できないのです。
もちろん、その気持ちは、ありがたいです。
しかし、自分の進路になるとそれとは話が別です。

よく言えば、「未来への心配。」で、悪く言えば、「嫉妬。」なのです。
この両方が合わさり、引きずり降ろそうとするのです。
これが反対する人の心理です。

反対されている気持ちは結構引きずるものです。

だからこそ、距離を置くことが大切なのです。
僕は専攻科の1年生までは寮生活をしていたので、
家族と「距離を置く期間。」というのができました。
そうすることで、ムカつく感情も消えていたのです。
意外と距離を置くことで、
「考える時間。」と言うのもできますよ。

そして、一番大事なのは、努力している姿勢を見せるのが超重要です。
分かってくれる人は、ここで認めてくれます。
「言い過ぎたな、。」とか、
「頑張っているんだな。」
と反対していた人から歩み寄ってくれたりするのです。
だからこそ、努力する姿勢は大切なのです。

僕の場合は、「自分の進路は自分のもの。」という信念を持ちながら、
結果で示しました。
反対されるのはものすごい辛いです。
それでも、新年を貫き、
憧れの進路を実現してください。
「必死に歩む進路。」を、僕は応援しています。

ということで、今回は以上です。

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