注意警告:僕がイラっとしたことは視覚障碍者への差別発言 厳しい話をします。

こんにちは。たかほしです。
毎日ミューパラを聞いています。
今回のメッセージテーマだった「イラっとしたこと」についてお伝えします。
今回はかなり厳しい内容となっています。
しかし、本気で視覚障碍者の当事者が発信したいことなので、勇気を出して書かせて頂きます。
また、視覚障碍者の人の在り方なども発信しているので、「きっと役に立てる」と自負しております。
それでは最後まで楽しんでください。

イラっとしたことは心ないことを言われたこと。

人間誰でもイラっとすることがありますよね。
これは心が狭いのでもなく、器が小さいのでもありません。
人間誰でもイラっとします。
心ないことを言われると、猶更イラっとします。
特に障害に触れることは言ってはいけないことですし、これを障碍者当事者に言うのは非常に失礼で、禁句ですよ。
心ないというよりも、差別発言ですよ。

これらの言葉は視覚障碍者の当事者には絶対に言うな。

世の中受け流せる言動と、そうではない言動があります。
度が過ぎた発言は差別発言になります。
特に教育者国の代表を取り巻く人がこれを言うと人間性を疑われます。
「見えていないでしょう」
「見えていない癖に」
「見えていないから許してもらえると思っているのか?」
張力の不自由な人に対しての禁句=「つんぼ」、「すっぽん」
全盲の人への禁句ワード=「めくら」
「ぶっちゃけ君見えているでしょう」
「あいつ見えているのに、白杖を使っている」
「本当は見えているで」などです。
これらの言葉は絶対に言うことはやめてください。

これを言うと、障碍者の人を全員に回します。
特に介護する側や、医療関係の人で言葉では言わないものの、障碍者を見下す態度が垣間見えた瞬間、お世話にならないです。
先の未来ですが仮に自分の子供が視覚障碍者だった場合、上記の態度を示す学校があればお世話になる予定は全くないですよ。

そして、僕は選挙に行く際には決めていることがあります。
それが「一人一人の政府は福祉に関しての在り方はどのように考えているか?」ということを判断材料としています。
世間では支持率があったとしても、福祉への理解が低い人は投票しないことを決めています。

差別発言があれば、毅然とした態度で叱るべき対応をしよう。

世の中「心ないいことを言われたら受け流そうという話を聞きます。
これは筋が通っています。
これは相手の性格なので、こちらがいくら言ってもどうすることもできないので、もちろんこれに関しては賛同です。
しかし、差別発言をされた場合は受け流してはいけません。
これは間違っていることなので、的確に叱るべき対応をするのが妥当です。
僕はある人から「見えていない癖に」と言われました。
以前の僕は大人しくて言い返すことができませんでした。
しかし、最近の話で同じことを言われました。
僕はこの言葉を言われた瞬間「今の言葉は聞き捨てられない」とはっきりと言いました。

相手は謝罪してくれましたが、僕はもちろんこのような発言をした人を許すことはないですね。
その人の友人や知り合いから仲裁されたとしても許しません。
これだけ言葉って大きな威力があるのです。
なので、言葉の重要性は大きく噛み締める必要がありますよ。

これを言う人には、はっきりと言わせてほしい。

僕はある失敗をしました。
その時に言われた内容が、「白杖を使っているから許してもらえると思ったのか?」
「見えていないから許してもらえるなんて思うなよ」
と言われたのです。
「迷惑をかけた」という事実は間違いないので、その行為に対して「すみません」と言いました。
僕はこういう人に正論を振り翳しても無意味だ」と思い諦めました。
その人ももしかしたら機嫌が悪かったのかもしれないですし、誰かとケンカしてイライラしていたのかもしれないです。
あるいは厳しい環境で育ってきたのかもしれないですよね。
人の気持ちなんぞエスパーじゃないので、わからないですよ。
というより、関係のない他人に八つ当たりするのは勘弁ですよ。
それ以前に、弱い部分を持ち出して攻撃するのは言葉の暴力です。
ここで言いたいことは、本当に視覚障碍者で許してもらうのであれば、そもそも「すみません」と言わないのではないでしょうか?
というより、気づかなかった振りをするはずです。
本当に申し訳ないと思っているからこそ、「すみません」と言うのではないでしょうか。
これを今一度考え直すべきです。

「見えていないんだから」というのは否定していることを自覚しよう。

自分で言うのも恥ずかしいですが、僕はチャレンジ精神旺盛な方です。
そして、その時に人から「見えていないんだからやめときなよ」
と言われることがあります。
このようなセリフを同じ視覚障碍者の人からも言われます。
僕は当時「同じ視覚障碍者の人から言われるので、そうかな?」
と思ってしまったことがあります。
しかし、冷静に考えればわかるのですが、これって相手の主観なんですよね。
相手自信が勝手に「無理だ」と思っているから、その価値観をこちらに押し付けてくるんですよね。
厳しい言い方ですが、障碍者自身が劣等感を感じていると、いつまで経っても「視覚障碍者は可哀そう」と周りの人から言われ続けます。
「可哀そう」という大人を減らしたいのであれば、劣等感を克服するように行動すべきだと思います。
そうじゃないと、世間の偏見を跳ね返すことができないですよ。

厳しいですが、これが現実です。

「自分は見えていないから○○」をポジティブ変換してみよう。

以前の僕も「見えていないからこれはできない。あれはできない」と言い訳を集めていました。
なので、今劣等感を感じている人の気持ちがわかります。
でも、同情はしません。
ここからを背けてはいけないと思います。
目を背けた結果、大きな可能性を見逃してしまいます。
僕も過去にはこういうチャンスを見逃して後悔したことが数え切れないほどありますよ。
そして、「可哀そうだね」とか、「そんなん見えないからやめときなよ」と言われ続け希望を失っていました。
「足を引っ張る人ってこういう人なんだ」とがっかりしたのです。

しかし、今になれば、こういうことばを受け流せるようになりました。
「俺の人生だから放っておいてくれ」とか、「あなたの主観を押し付けるな」と堂々と思えるようになりました。
そう。あることをしただけです。
それは、「見えていない」ではなくて、「見えていないからこそ○○」ポジティブ変換しただけです。
僕はゲームを全盲になって再開しました。
もちろん、弱視時代にはよくゲームをしました。
なので、弱視時代とはゲームのやり方なども180度変わりましたし、弱視時代とは生活リズムも大きく変わりました。
僕は全盲でもゲームが大好きです。

だからこそ、ゲーム配信をして、「全盲の人もゲームが楽しめるんだ」ということを証明したいのです。
これがきっかけで、「どうやってゲーム配信で伝えていこうか」ということも考えるようにもなりました。
そして、「見えていないからこそ、これを発信して同じ視覚障碍者にもゲームを楽しんでもらおう」と考えるようになりました。
僕は「健常者の人にも動画を楽しんでほしい」ということも思っているので、「見えていないからこそ、視覚障碍者の現状を伝えられる」ということも考えられるようになりました。
「見えていないから」というネガティブ発言ではなくて、「見えていないからこそ○○」と言い換えれたからこそ、工夫をするようになりました。
これは「僕にしかできない発信だ」と編み出せたのです。

視覚障碍者全員で偏見を払拭していきましょう。

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