まじめ過ぎる性格をやめて、心を楽に。僕の体験談も話します。

こんにちは。
たかほしです。。
よく、「まじめすぎて、面白くない。」と言われたり、
自分自身でも「まじめな性格は嫌だ。」と考えすぎて消耗してしまう人もいるのは確かです。
こんな追い込み過ぎた性格は体にもよくありません。性格は治すことは難しいかもしれませんが、考え方を変えるのは意識次第で変わるので、
真面目な性格に困っている人は最後までお読みください。
真面目な性格を起こす原因
昔から「真面目でいなさい。」と教えられた
これは間違いではないです。
人間頑張るときと、息抜きするときのバランスというのが大切です。
しかし、ほとんどが、家庭や学校教育で「まじめになりなさい。」と教えられたと思います。
そして、その考え方が、正しいとどんどんと植えつけられるのです。
不漁にならないための一つの教育法だと思いますが、ちょっと教え方は工夫すべきではないのかな?というのが持論です。
自意識過剰になる
真面目でいないと、怒られた経験はなかったでしょうか?
これも、酷い教育法ですね。
宿題を忘れたり、役割をサボったりして怒られるのはわかるのですが、
あまりにも理不尽なことで怒る人も存在するのです。
怒られるという事で、自分は真面目にならないといけない。という勘違いが起きます。
そして、ちょっとした行動で怒られないか?ということで合ったり、
自分はちゃんとできているか?
「怒られないか?」と自意識過剰へとつながります。
他人の視線が気になる
怒られたり、自意識過剰になることで、他人の眼が気になるようになります。
人はそこまで周囲に興味がないというのはわかっていながらも
今までの習慣が染みついてしまったことで、
他人の眼を気にして自己防衛反応が起きてしまうのです。
ちょっとしたことでも、
「えぇ~、今サボったらみんなどう思うんやろうか?」という不安に押しつぶされそうな気持ちになるときもありますよね。

真面目を止める方法
人は他人に興味がないと知る
前述したとおり、人は他人に興味はないということです。
みなさん、学校の授業内容って覚えていますか?
昨日上司が何を言っていたか覚えていますか?
覚えていないですよね。
僕は全然覚えていません。笑
そんなもんですよ。
要するに全然気にしなくても大丈夫ですよ。
2、ありのままの自分でいること
これが一番です。
みんな自分の考えを持ったり
価値観を持つことは当たり前です。
しかし、その価値観や性格をあざ笑うかのように馬鹿にする人も存在するのです。
これが自分のキャラを壊される厄介な人物なんですよね。
ここで巻けてはいけないのです。
バカにする人の方が、バカなので、放っておくのが一番です。
余計に図に乗るので、一番いいのは、ありのままの自分をもつことです。
完璧を捨てる
真面目な性格になるのは、完璧主義な点があるからだと思います。
「完璧じゃないとダメ。」という思い込みから、真面目な性格につながってしまいます。
世の中完璧な人なんて存在しないのです。
「100点を取ろう。」という意識が芽生えるとどうしても意識が向いてしまいます。
そして、うまくいかなかった場合、落ち込んだりします。
70点でも、80点でもいいのです。
この嗜好をもてるようになるだけでも、まじめすぎる性格は改善できると思います。
失敗を恐れない
完ぺきと同様に「失敗したくない。」もまじめな性格を起こしてしまう原因です。
「失敗は成功の基。」ということばがあるように、
失敗を積み重ねて人間は成長へとつながります。
失敗を恐れるのは、「失敗をしてはいけない。」ということを教えられたからではないでしょうか。
それは間違いだと思います。
これが引き金でまじめな性格を発動し、自分を追い込んでしまうので
どんどんとチャレンジ精神をもって、挑戦する姿勢を示しましょう。
笑われても、馬鹿にされても構いません。
僕は挑戦する姿勢の人を応援していますよ。
息抜きをする
真面目な性格をやめる特効薬と言えばこれではないでしょうか。
まじめすぎる性格はかなり心のダメージが大きいです。
頑張る姿勢は素晴らしいですが、時にはクールダウンの機会を設けることも大切です。
あまりにも息抜きをし過ぎるのはよくないですが、
本当に頑張るときは、頑張り、
息抜きするときは思い切って息抜きすることを覚えれば新しい発見が生まれますよ。
たとえば、カラオケで思い切って歌ったり、
旅行が好きなら偶にはズル休みをして、旅行に行くなど
見つければキリがないですが、
楽しんだ後の仕事は捗る可能性は高いと思いますよ。
適度な休養は大切ですよ。
真面目で怒る現象
言いなりになる
「怒られる。」という強い恐怖心と
「嫌われたら嫌だ。」という強い不安の両方が合わさり、言いなりと言う手段につながります。
上司や同僚、友達からの無理なお願いを無理に引き受けてしまうのもこの現象からです。
無理だと自分で分かっているのにもかかわらず、他人視線になってしまい、
何でも「はい。」とか
「わかりました。」と暗にに引き受けてしまうのです。
思考能力が乏しくなる
「嫌われたらどうしよう。」という意識が他人に向いてしまい、
自分で考える能力がいつまで経っても身に付かないままになります。
違う事をしたら、怒られるのではないか?という強い不安から考えれなくなるのも真面目な性格から起こる現象です。
その結果、考える能力が乏しくなるのは言うまでもないです。
トラウマになる
少し気を抜いただけなのに、些細なことで怒られた経験は誰でもあるのではないでしょうか?
これが積み重なり、「息抜きをしたらダメ。」とか、
「まじめじゃなきゃダメ」という思い込みへとつながります。
少し息抜きをしただけで過去に怒られた経験を思い出し、トラウマになってしまうのです。
疲労感の蓄積
他人行儀であったり、
余計な気を遣い過ぎた結果、気疲れへとつながります。
マナーや気遣いはものすごい素晴らしいことですが、
度が過ぎた他人行儀は体にも悪いし、
半端ない疲労の蓄積につながります。
僕のまじめすぎた時の体験談
これで終わるのはちょっとあっけないと思い、
僕の体験談をお話します。
自分で言うのも何なんですが、というより、人からもよく「まじめ過ぎる。」と言われました。
自己分析をしてわかったこと
まじめになったきっかけというのは次の理由があります。
怒られまくる
読解力が0過ぎて両親に怒られる
勉強できなさすぎて怒られる
僕は国語力がなさすぎた結果、算数の文章問題なんて代の苦手で下。
というより、読解力がなさすぎて、国語力と言うより、もう論外でした。
酷い場合は、小学5年になっても、2年生の文章問題すら解けないレベルの人間でした。
もう少し掘り下げて言うと、
「80円のりんごと90円のみかんを購入したら合計でいくらしますか?」という文章問題があるとします。
今なら170円と答えることができますが、
昔の僕はかなり酷かったです。
足し算がダメなら引き算、
引き算がダメなら掛け算、
みたいな感じでした。
漫才でもなんでもなく真面目に答えていました。
これが何回も続いたので親もさすがに手が出るくらい起こりますよね。
ここで、「間違えてはいけない。」という恐怖心が生まれました。
「言う事を聞かなければいけない。」という思い込み
寮の先生に怒られる
高校の担任とそりが合わない
言う事を聞かなければ怒られるというのは当然の事です。
それは否定しませんが、中には、「教師だから。」という権力を振りかざして生徒を支配する教師も存在したのです。
すると、理不尽なことで怒られます。
僕は盲学校で寮生活をしていましたが、年によって担当の先生が変わります。
すると、相性が合わない先生が担当になることがありました。
すると、こちらの言い分を聞かず、一方的に言い任す職員もいました。
そして、その言い任す特徴の共通点をもっていたのが、高校2年と3年の担任の教師でした。
その担任とそりが合わなかった他の理由は、僕に結構きつかったという事でした。
高校時代は僕を含めて4人クラスで下が、僕にきつく当たるところを他の3人には優しかったり、
裏で僕の悪口の同調をしあっている話を聞いていたからです。
酷い場合は、「教えているんだから、言う事を聞きなさい。」という上から目線の馬頭の連続でした。
ここで、真面目にいう事を聞かなければいけない。という思い込みができました。
人間関係で空回り
嫌われないように八方美人を演じる
中学1年まで友達もできず、もちろん、人間関係を気付いたことなんてなかったです。
そして、中学2年生から盲学校に行き、初めて人間関係を気付くことを経験しました。
だから、友達の作り方なんてしらないし、
聞いたら恥ずかしいというプライドは一丁前に高かった人間でした。
そこで、話しかけてくれた人がいて、意見を聞かれました。
すると、僕は「うん、そう思う。」と誰に対してもそう答えていました。
自分は違う意見であってもそれを隠し誰に対しても意見を合わせていました。
何でも「うん、そうやな。」と言えば人に嫌われないと思い込んでいたからです。
自分の中で嫌われたら終わりというルールを作り、八方美人を演じてしまいました。
真面目=八方美人というのが僕の概念でした。
その結果、表面上の付き合いで学生生活を終えてしまった残念な結末になりました。
頑張りすぎて自分を追い込み過ぎる
好かれたい気持ちが前に出過ぎて空回り
盲学校に行き、初めて人間関係を気付くために頑張りすぎました。
話しかけてくれたことがすごく当時の僕にとってはうれしかったです。
そこから、人間関係を崩さないようにと、力みすぎました。
その結果、気を遣い過ぎて逆に相手をイラッとさせてしまうことだらけでした。
すると、「相手を怒らせないようにしなきゃ。」という変な気遣いをしてしまい、空回りの連続でした。
怒らせたら周りからも白い目で見られるなど恐怖心も生まれ、「間違ったことを言ってはいけないんだ。」とまじめに考えてしまうようになりました。
仕事でクレームが出過ぎて自信喪失
僕はマッサージ仕事を13年ほどやっていますが、最初の4年ほどはかなりしんどかったです。
特に3年目まではかなりしんどかったです。というのが、マッサージが下手くそすぎっ手お客さんからクレームの連発でした。
そして、職場の人からも、めちゃくちゃ怒られまくりました。
その結果、仕事に入るときも「また、クレームが出たらどうしよう。」という気持ちが強く出てしまうほど、かなり仕事に恐怖心を覚えていました。
そして、電話がかかった時に名前を聞いた時に「何か僕のことを言われるのではないのかな?」とビクビクさえもしていました。
これらを払しょくするために、クレームが出ないようにめちゃくちゃ努力をしました。
不器用すぎて、結果が出るまでに時間がかかり過ぎました。
周りからの攻撃と、不器用な歯がゆさで頑張り過ぎた結果、自分を追い込み過ぎました。
不器用は真面目に頑張り過ぎなければいけないという思い込みが染みついていました。

まじめすぎて学んだこと
怒られ過ぎた結果がまじめを招いたのかもしれません。
それに加え、たくさんの人間関係の挫折も経験しました。
「言う事を聞かなければいけない。」雰囲気であったり、
好かれるための対策もしてきましたが、空回りで終わることばかりでした。
ただ、確かなことは、他人に気を遣い過ぎであったり
他人を伺う行為が嫌われる行為につながることに気づいてきたのです。
だったら、「嫌われる覚悟でいよう。」
「嫌われても仕方がない。」と思えるようになれば結構、心が軽くなりました。
そして、自分が他人を好きになっていけば、
他人からも自然と好かれてくることも学びました。
学んだことは、他人をコントロールして、言う事を聞かせたり、
マウントを取る人の話を真面目に聞いたりしても
得る物がなくても、失うものはあるという事です。
そういう人とは表面上の付き合いで終わることが大半ですし、
真面目に付き合うだけで、残るものは疲労と労力の両方だけです。
だったら、まじめをやめて、「そういう人とは無理に仲良くならない。」という気持ちの強さも大切ということを学びました。
学生時代にこれらを経験したことで、大人になってから、聞き流すことを身につけられたと思います。
「あぁ、聞き流せば全然しんどくない。」と思えるようになりました。
それと共に、相手の見る目を養う重要性を知りました。
性格を変えるのは難しいですが、行動を変えるだけで、これだけ心が軽くなるという事です。
僕はこれを身をもって学びました。
真面目は時には武器になるときがありますが、デメリットになる点を改善して心を楽にできたらなと思います。
ということで今回は以上になります。

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