許せない相手と上手に立ち向かう方法(自分の勘違いに気づいて起きた変化とは)

こんにちは、全盲でブログを書きながらゲームを楽しんでいるたかほしです。
みなさん「今日」という日を楽しんでいますか?
人間関係を円滑にしていくことができれば、毎日が楽しいですよ。

今回は許せない相手を無理に許す必要はないということについてお伝えします。
この問題に対して悩んでいる人はきっと多いことでしょう。

許せない相手を無理に許す必要はない。

いきなり衝撃的なことをお伝えします。嫌なことをされたり、平気でこちらのことを傷つける相手を許す必要はありません。いきなりこの内容を読んで、もしかすると、「お前器が小さい奴」、「そんなこと言うなよ」と思った人はきっといるかと思います。このようなことを言う人のことを否定して非常に心苦しいですが、正直言ってこれらのセリフは綺麗事だと捉えています。
このようなことを言うあなたに逆に質問します。あなたは人から粗末にされたり、尊厳を踏みにじるようなことをされたら許せますか?
許せないですよね。にも関わらず、「そういう人を許してやれ」と言うのは無神経ですよね。なぜならば、人は全員、人から大切にされる権利があります。それとは逆に人は「粗末にされた」と思った瞬間、あなたのことがだんだんと苦手になり、離れていきます。そして、粗末にされることが増えれば当たり前ですが、居心地の悪さを感じて、やがては一緒にいたいと思わなくなっていくのです。

自分を大切にしてくれない人と誰が一緒にいたいのでしょうかね。逆に教えてほしいです。
なので、友達から触れられたくもない話題を持ち出されたら許せないのは当たり前です。担任の先生から学力や人格を否定されるようなことを言われたら許せないのは当然です。同僚や上司であっても暴言を吐かれたら許せないのは当然です。
好きな恋人から裏切られるようなことをされたら許せないのは当然です。

このように立場を利用して、人を攻撃すること自体人として最低ですし、友達であっても、人が気にしている話題を持ち出すこと自体、友達ではありません。恋人が平気で裏切るのであれば、もう恋人ではありません。赤の他人です。
この現状を受け止めるのは非常に辛いことかもしれないですが、今後のことを考えるならさっさとそういう人とは縁を切って新しい恋人を探した方が得策だと僕は考えています。

許せないことをされたら、思い出すのは当然。

相手から許せないことをされたら思い出すのは当然のことです。ましては暴力を振るわれたり、暴言を吐かれると自分の存在を否定された感覚になります。人は自分のプライドというものを必ず持っています。なので、そのプライドを傷つけられたりすると許せないのは当然のことなのです。
例えばあなたはプロ野球選手になるために、毎日必死で練習をしているとしましょう。練習している現時点では泥臭い結果しか出ていなくても、頑張っているとしましょう。ところが、あなたの頑張りに対して「お前の成績なんかじゃ絶対にプロにはなれない」、「お前には絶対に無理無理。やめておけ」、「お前には才能なんてないんだから、他の道に進め」と言われたらどうでしょうか?きっと悔しい気持ちになるはずです。
これは個人的な考えですが、自分のに対してバカにする人がいたら縁を切った方がいいと考えています。そうじゃないと、あなたの自己肯定感が下がり、本当にそのような結果になってしまうからです。
人は自分の信念を否定された時に、心に大きな傷を受けます。そして、相手から否定されたことは永遠と記憶に残るものなのです。これは人間が持っている本能なので、許せない感情が出るのは当然のことなのです。

許せない相手を無理に許そうと頑張らなくてもよい理由。

許せない相手を無理に許そうと頑張ってはいないでしょうか。これは絶対にできないことです。許せない相手を無理に許そうと頑張ることは、後々自分を苦しめる結果へと繋がります。
嫌なことをされたら許せないのは当然ですし、人を平気で傷つける人のことを簡単に許すことなんて絶対にできません。それをすることで、「許せない自分は器が狭いんだ」と考えるようになり、自己嫌悪に陥っていきます。そして、これを続けていくことで、やがてはあなた自身が疲れてしまうようになります。こうなると本末店頭ですよね。
自分の気持ちを押し殺すことはかえって体と心にも悪影響を及ぼしますよ。
大切なことは、許せない相手を許そうと頑張るのではなくて、「許せないことをされたら、許せないのは当然」というように、自分の気持ちに正直になることです。

許せない相手と上手に立ち向かう方法。

ここからは許せない人に対しての上手な立ち向かい方についてお伝えしていきます。これは決して喧嘩をしようとかではなくて、上手に立ち向かう方法です。大人の対応をして、むしろ許せない相手をどうでもいい人にシフトする方法になるための準備です。

「なぜ許せないか」を考える。

相手を許せなくなった理由には必ず原因があります。まずはここから考えることが必要です。「相手のどういう言動が嫌だったのか」、「何をされて不愉快に感じたか」、「どういう行動が目に余ったのか」など考えることで、気持ちが軽くなっていくはずです。そして、原因を探していくことで、自分に落ち度があることに気づいたのであれば、「お互い様だったよね」と考えることができますし、明らかに相手側に原因があったり、性格に問題があるのであれば、相手と縁を切る選択ができるでしょう。
「許せない相手」と分かった瞬間、もう2度と連絡をしなくても済みますからね。

新しい人間関係を構築しよう。

許せない相手を「許す必要はない」と分かった瞬間、もうその人との人間関係は「終わり」という結論になりますよね。ということは、もうその人と関係を続ける必要はないですよね。だったらどうすればよいかというと、新しい人間関係を構築するために行動をすることです。
新しい人間関係を構築するために「どんな人となら気が合うか」、「どういう人となら仲良くできるか」などを考えていくことも効果的になります。そして、それが分かった瞬間、もう次のステージに進んでいるので、許せない相手のことなど1ミリも思い出すこともなくなるでしょう。
人は新しい人間関係を構築した瞬間、もう過去の相手のことなど私大へと忘れていく動物なのです。

新しいことに挑戦する。

新しい人間関係を構築することと同じく、許せない相手と上手に立ち向かう方法は新しいことに挑戦することです。
少し料理に挑戦したり、英語の勉強をするなどというようにどんな小さなことでもOKです。そして、副業としてブログを書いたり、動画配信を頑張ったり、スキルを磨くなどをしていけば許せない相手のことが全く気にならなくなるはずですよ。

やりたかったことを徹底的にする。

許せない相手のことを気にしている間はその人のことをずっと考えていたはずです。そうすることで、やりたいこともできなかったはずです。許せない相手のことを考えている間というのは、相手を意識しているので、相手のネガティブ発言や、その人の言動が常に気になるので、あなた自身が振り回されてしまうんですよね。許せない相手と分かった瞬間、もうその人と関わったり、連絡を取る必要すらもなくなるので、時間の空き容量が増えます。そうすれば、今までできなかったことができるチャンスにもなります。
この空き時間で、自分のやりたかったことを思い切ってやりましょう。
例えば今まで読めていなかったを読んだり、旅行に行きたかったのであれば旅行に行く。家族の時間を大切にできていなかったのであれば、家族と外食したり、買い物に行くと、家族との関係も良くなっていきますよね。
あなたのやりたかったことは何でしょうか?
まずはリスト化してみることをお勧めします。

自分の好きなことを思い切ってやる。

自分の好きなことをやることで他人のことなどは全く気にならなくなります。それは脳は1つのことしか集中できないからです。
もしここで許せない相手のことを考えてしまうのであれば、自分の好きなことを本心から楽しめていない状態です。ただ、許せない相手って忘れようと思ってもなかなか忘れることができないので、すごく辛いですよね。その気持ちすごく分かります。でもそれはあなたの中では「決して関わってはいけない相手」ということをしっかりと認識しているので、正常な状態です。
ここで「許せない相手を思い出す自分はダメなんだ」と自己嫌悪に陥る必要はありません。それはしっかりと自分の気持ちに正直になれているので、しっかりと自分を褒めてあげましょう。
このような現象はきっと何回か起きるかもしれませんが、関わらない相手と判断できているので、次第に思い出すことも減っていくことでしょう。
そうすることで、自分の好きなことに打ち込むことができるようにもなっていくかと思います。

大切なことは、許せない相手を思い出したとしても諦めず、自分の好きなことをやり続けることです。カラオケで歌を歌ったり、好きなアニメを見て笑う、ゲームが好きならゲームに集中する。これだけであなたは好きなことを楽しめているのですから。きっと大丈夫ですよ。

自分を好きになる。

自分を好きになることも非常に重要です。なぜかというと、「相手を許さない」という答えを出したのはあなた自身だからです。
「相手を許すか、許さないか」という答えを導いたのは他人ではありません。あなた自身です。

もちろん、あなたはいろんな人に相談をしたり、嫌なことをされた時、仲のいい人に愚痴ったと思います。しかしながら、その人達もアドバイスはしたかもしれませんが、「相手を許した方がいい」や、「許さなくてもいいんじゃない」などというように指示や命令をした訳ではないですよね。
結局のところは、「相手を許せないから、関係を切ろう」という答えを出したのはあなたですよね。答えを導いただけでもすごく勇気のいることですし、本当に素晴らしいことですよ。答えを導いたということは一歩成長した証拠です。人は成長した時、自己肯定感が上がります。
自己肯定感が上がるからこそ、自分のことが大好きになります。

本心から仲良くしたい人と過ごす時間を増やす。

あなたにも嫌いな相手や、苦手な相手がいる一方で、本当に仲の良い人は必ずいるかと思います。どうしても許せない相手のことを考えている時というのは、仲の良い人と本心から笑うことも難しいでしょう。
許せない相手を考えている状態は、まだ相手に期待している状態です。
「好き」の反対は「嫌い」ではありません。「無関心」です。苦手な相手に対してよく「腹が立つ」という話を聞いたことがあるかと思いますが、これもまだ相手のことを意識している状態なので、関心をもっている状態です。腹が立っている状態は、相手に「改善して欲しい」という期待を望んでいる状態です。
腹が立つということは感情的になっています。こんな状態で本当に仲良くしたい人と笑ったり、本音で話をすることはできると思いますか?きっとできないと思います。大切なことはもう過去のどうでもいい相手のことを考えるのではなくて、本心から仲良くしたい人と長く過ごすことを考えることです。具体的には「どんなことをしたら相手ともっと仲良くできるか」、「相手の好きなことはどんなことなのか」などを考えることなのですよね。また、仲の良い人に情報共有ができるレパートリーを増やすことも効果的ですよ。
そうすることで、その人との関係は今以上に良くなっていくはずですよ。

自己成長で戦う。

許せない相手に対して上手に立ち向かう方法は自己成長をすることです。よく「自分が嫌なことをされたから、許せない相手に対して復讐をしてやりたい」と言っている人がいますが、これは危険な考え方です。むしろあなたの評価を落とし兼ねません。これをした瞬間、あなたの基から人がどんどんと離れていいきますよ。
あなたがやるべきことは、許せない相手よりももっと人間として成長することです。具体的には人の役に立てるようにスキルを磨いたり、コミュニケーション能力を上げるために傾聴力を高める
素敵なパートナーと出会えるように自分磨きをする。
副収入を得られるようにブログやYouTube配信をする、本を書く。
仕事で周囲の人から求められるような人材になるために、実力を上げる

これらすべては自己成長です。自己成長をするだけで、嫌な相手よりも上に立つことができます。

嫌なことを言ったり、人を傷つける人は自己成長とは無縁です。自己成長をしないからこそ、人を傷つけるのです。ですので、自己成長しているあなたは今後誠実な人間になっていくことは間違いないですよ。
どうでしょうか?自己成長するだけでこれだけのメリットがあるのですよね。なので、許せない相手に対して攻撃して仕返しをするのではなくて、自己成長することです。自己成長こそが賢い復讐ですよ。
自己成長をしていけば、許せない相手のことなどはどうでもいい相手にすることだってできるんですから。

許せない相手をどうでもいい人と思えたらあなたの勝利。

ここまで許せない相手に対して上手な立ち向かい方についてお伝えしていきました。とはいっても、冒頭でもお伝えした通り、許せない相手のことを思い出すことはごく自然なことです。
しかしながら、上記の行動を続けていけば、許せない相手のことがどんどんとどうでもよくなっていくことを実感できるかと思います。
思い出すということは、その人との関係を「もう一度やり直そうかな」と考えている状態です。そして、この状態はまだ相手に期待している状態ともいえるのです。このような本能が生まれるのは当然のことです。だって、それは自分から人を嫌うのは怖いという気持ちがあるからです。
自分から相手との関係を着るのは怖いですよね。その気持ちすごく分かります。でも、冷静になって考えてみて下さい。許せない相手があなたに対して優しくしてくれましたか?
もちろん優しくされたからこそ、その人との関係を続けていた訳ですよね。
では、あなたを平気で傷つけたり、攻撃をしたからといって、その人は謝ってくれましたか?
仮に謝ったとしても、また元通りの状態に戻って、あなたを攻撃したり傷つける言動を繰り返したのではないでしょうか。
そういう人ともう一度やり直す必要ってあると思いますか?
僕はないと思います。こういう人は謝ったとしても、心から反省してはいないので、同じことの繰り返しになるだけです。なので、あなたが一方的に振り回されるだけの結果になりますよ。

あなたが許せない相手の立ち向かい方を実践していくことで、やがては自分自身に余裕が生まれてきます。余裕が生まれると、相手のことを冷静に観察することができるようになり、人間関係の取捨選択ができるようにもなります。そして、苦手な相手のことを次第に考えなくなると思います。考えなくなった状態こそが無関心です。
無関心になれば、「あんな人、確かおったな」、「でも俺には興味なんてないから知らない」と相手のことがどうでも良い人になります。どうでもいい相手と思えるようになると、ストレスも軽減していくのです。こうなればあなたの完全勝利です。

「どうでもいい相手」と思えたら、許せない相手のことを放置できるようになる。

許せない相手を「どうでもいい人」と思えるようになれば、他人を放置できるようになります。だって、どうでもいい人なんですから、自分の人生には何の支障はありません。冷たく聞こえるかもしれませんが、これは非常に重要です。
結局のところ、自分の人生は自分のものと同じように、他人の人生は他人のものです。どうでもいい相手があなた以外の他人と仲良くしようと、性格の悪さが変わっていなくても1ミリもあなたには影響がないのですから。相手自信の悪い性格が本気で変わらない限り、その人の身の回りにはいい人に囲まれることはありません。これは絶対的な事実です。
相手の悪い性格が続いていようと、相手が変わらなくても関係ありません。その人はその人のままにしていたら良いのですから。
なお、他人を放置するということは、許せない相手だけに限らず、家族や恋人、職場など他の人間関係でも応用できます。「放置」といえば悪く捉えがちですが、人間関係に対しては非常に効果的です。なぜならば、放置することで、相手のありのままの状況を尊重できるからです。相手を尊重できるからこそ、相手の考え方や意見も自然と認めることができるのです。相手を尊重して認めることができるからこそ、否定をしたり、求めてもいない「アドバイスをする」という発想すらも起きないのです。だからこそ、人間関係でトラブルも起きないのです。
これこそが、他人を放置する最大のメリットなのです。

自己受容できれば、感謝できるようになる。

自己受容とはありのままの状態を受け入れることです。あなたは相手から許せないことをされて悔しいですよね。そして、その人を「許そう」と頑張ってきたんですよね。「相手を許さない」という結論に至るまでには、きっと長い時間かかったと思います。
平気で自分のプライドを傷つけられるようなことをされたら腹が立ったり、ムカつくことは当然です。ましては自分の尊厳を踏み躙られるようなことをされたら悔しい感情が生まれるのは当然のことなのですよね。
よく道端では「悔しいことがあっても我慢をしないといけない」、「腹が立っても怒ってはいけない」というように根性論を話す人がいますが、これは無視しても大丈夫です。つまり自分の感情には素直になることが大切なのです。これを自己受容と言います。
この感情を抑えるということは、自分の気持ちを否定していることにもなります。この気持ちを否定し続けると、心と体を壊してしまいます。
「悔しがってはいけない」ではなくて、「嫌な気持ちになった時はムカついてもいいんだよ」
腹が立つことを言われたら、「怒ってはいけない」ではなくて、「腹が立つことを言われたら、怒るよね。だから気が済むまで怒ってもいいんだよ」というように自分で許可を出すことが重要なのです。そうすると、気持ちがだんだんと落ち着いていきます。
このように自己受容ができるようになれば、どうでもいい相手に対しても寛容にもなっていくことでしょう。そして、「許せない相手がいたおかげで、自己成長するチャンスができた」、「あなたという反面教師のお陰で色々と学ばせてもらったよ。ありがとう」というようにどうでもいい相手に感謝までできるようにもなります。
これこそが自己受容することへの最大のメリットです。さぁ~、今日からポジティブなこともネガティブなこともすべて受け入れていきましょう。きっと心にも余裕が生まれるはずですよ。

私の失敗談、他人の期待に応えていた時代があった。

僕は学生時代の時から人から貶されることが多くて、褒められることは少なかったです。なので、有名人がテレビで活躍している姿を見たり、オリンピック選手が活躍している姿を見て、「俺もいつかはこの人達のように褒められてちやほやされたい」と思っていました。「ちやほやされるとどれだけ心が満たされるのだろうか」ということも考えた時期もありました。そして、一度は「僕の自己肯定感を上げてほしい」とさえも思っていたのです。
こんなことを考えていたので、人が褒められている姿を見ると必ず嫉妬していたのも事実です。そして、周囲と自分を比べて、「俺は褒められないから、価値のない人間」とさえ思い卑屈にもなっていました。「自分には価値がないから、もっと人に褒められるような人間になりたい」とさえ感じて、他人の期待に応えるために行動をしました。しかしながら、このような行動をしても褒められるどころか、逆に都合のいい人と認定されて、攻撃がどんどんとエスカレートしていきました。
僕はそれでも、他人の期待に応えて行動をしていけば、「きっと相手は僕を褒めてくれる」と勘違いをしていました。すると、今度は僕の人格を否定をするような言動が増えたのです。このような状態が長く続いた結果、僕のイライラも爆発寸前になっていたのです。こんな状態になっても、家族や周囲に相談もできなかったので、一人で抱え込んでいました。一人で抱え込んでいたので、常に相手に攻撃をされても我慢することしか選択肢がなかったのです。
我慢に我慢を積み重ねていたので、やがては「俺がこんな人間になったのはあいつらの責任」、「ここまで期待に応えているのに、何で俺を分かってくれないんだクソ」と相手を恨む言動が増えたのです。更に日常生活でも些細なことや、どうでもいいことに対してもイライラするようにもなり、心も体もボロボロになっていきました。
その一方で、「たった一度だけの人生、自分の人生を他人に握られるのは嫌だ」と思っていたのも事実なので、這い上がるために色々と人間関係についての勉強をスタートしました。

実体験あり、自分自身大きな勘違いをしていた。

僕は「他人の言動に振り回されるのは嫌だ」と本気で思ったからこそ、人間関係についての勉強をするために本を読んだり、数多くの記事を読みました。とは言いつつも、最初はなかなか成果が出なかったです。なぜならば、僕は大きな勘違いをしていたからです。
それはというと、「自分の性格に問題があるから攻撃されるんだ」と思っていたからです。
具体的には明るい人が仲良くできて、大人しいから虐められるんだ
内向的な人が虐められて、社交的な人は虐められない
お喋りが上手な人は虐められないが、お喋りが下手糞だから虐められる
知識があるから仲良くできる、無知だから虐められる
こんな感じですかね。

因みにこれらというのは、虐められていた当時の僕のことです。だからこそ、これらの性格を治せばきっとみんなと仲良くできると思っていたので、これらの性格を改善するために行動をしました。
ところが、これらの行動をしても周囲の態度は全く変わらなかったのです。当然といえば当然ですよね。なぜならば、虐める相手の目的は性格ではないからです。とは言いつつも、「虐められる原因は性格が問題だから」という勘違いが起きるのも無理はないです。それはよく親や学校の先生から、このように教わったからだと思います。
「お前は欠点が多いから虐められるんだ」
「お前は性格が暗いから虐められるんだ」
「そんな性格だと誰からも相手にされないゾ」
どうでしょうか?一度はこれらのセリフを言われた経験はないでしょうか?

では考えてみましょうか?何でこれらのセリフを言うと思いますか?それは罪悪感を植え付けて、あなたを洗脳することが目的だからです。なので、これらのセリフというのは何の根拠がないのです。
僕は30年以上もこれらのセリフを真に受けていました。真に受けていたからこそ、心も体もボロボロになっていたのです。ところが「自分を本気で変えたい」と思った瞬間、これらのセリフに対して違和感を覚えるようになりました。そして、「性格が問題だから虐められる」という勘違いにも気づくことができたのです。

実体験あり、勘違いに気づいて、起きた変化とは?
僕は30年以上も人間関係で苦しみました。そして、「性格が問題だから」という勘違いに気づくのもすごく時間がかかりました。ところが、どうでもいい人や苦手な相手から攻撃の対象になっていた本当の原因に気づくことができたのです。それはというと、相手の期待に応えていたからです。
「期待に応える」ということは、他人軸で行動しているということにも置き換えることができます。つまり、「自分軸」というものが全くなかったのです。
虐められていた当時は、常に他人のご機嫌取りをしていました。「他人によく思われたい」という欲望が強くて、自分の考えを犠牲にしてまで、他人に優しくしていたのですよね。だからこそ、攻撃のターゲットになっていたのです。
僕はこの原因に気づいてから、相手の期待に応えることをやめる決意を本気でしました。そして、今まで僕を平気で傷つけてきた人や攻撃してきた人を「絶対に許さない」と心に決めたのです。もちろん、虐められる原因を作ったのは僕ですが、暴言や人格否定は決して許されることではありません。なので、最初は許せない相手に対して常に怒りすらも沸き上がっていました。許せない相手に怒りを感じていたからこそ、過去に言われ続けた暴言もフラッシュバックしていました。そして、思い出したくもない暴言が記憶として蘇った時は常にイライラしていました。
ところが、ある日に僕は気づいてしまったのです。それは「許せない相手にまだ好かれよう」と考えていたことです。当時の僕は許さないと決心したにも関わらず、「もう一度相手とやり直したい」と心の奥底で考えていました。なので、自分の気持ちに正直に従うことができていなかったのです。だからこそ、許せない相手に対して常にイライラしていたのです。ようやくこの矛盾点に気づいたのです。ここから僕の考え方にも大きな変化が起き始めました。
それは、「許せない相手を許す必要はない」ということです。許す必要がないからこそ、僕も自分軸で貫こうと決心したのです。僕は自分軸で行動し始めたことで、許せない相手のことが次第にどうでも良い人へと変わりはじめました。どうでもいい人と思えるようになったからこそ、許せない相手のことが次第に頭から離れていったのです。こういう感覚を実際に体験したことで、僕の心は次第へと軽くなっていきました。そして、僕を攻撃する人や平気で傷つける人から「好かれたい」という願望も手放せるようになりました。いい意味で諦められるようになったのです。
「諦めが肝心」ということはこういうことなんですよね。僕が諦めようという結論に辿り着いた理由は、自分が虐められるようになってしまった原因を改善するために全力で努力したからです。自分で言うのも非常に心苦しいのですが、やるべきことは全力でやり切ったと自負しています。自分の問題点を改善したうえで、相手の言動が変わらないのであれば、どうすることもできません。「相手が変わるかどうか」というのは僕の力ではコントロールすることができないからこそ、諦めるという答えに辿り着いたのです。世間では「諦める」という言葉は悪く捉えられがちですが、そうではありません。もちろん自分の力でコントロールできることがあるならば、それに向けて行動する姿勢は大事です。そして、ここからが大事なのですが、自分の力ではコントロールできないことがあるのであれば、諦める姿勢は大事だと僕は考えています。
このように考えられるようになると、諦めることもきっと怖くなくなるでしょう。こうして、僕自身、諦める精神が身についたことで、嫌われることも恐れなくなりました。嫌われることを恐れなくなったので、相手を観察できる余裕が生まれたのです。そして、「この人と仲良くできる」と思えば、仲良くして、「この人とは仲良くすることが難しそう」と判断したら、距離を置いて関わらない判断もできるようになったのです。こうして、人間関係の取捨選択ができるようにもなったのです。いわば主導権を自分で握られるようになったのです。
ここから僕の人生は本当の意味で楽しくなり始めました。30年間という長い期間苛めを受け続けていた時は非常に辛かったですが、あの経験があったからこそ、今の僕があると考えています。このように考えられるようになったのは、どうでもいい人に対して諦められるようになったからだと僕は考えています。
僕はどうでもいい人のことを反面教師にして、これからももっと自己成長して誠実な人間になりたいと考えています。そして、もっと人を応援できるような人間になって良好な人間関係を構築していきたいと考えています。
ということで今回は以上になります。
今年も長文を読んで下さり、ありがとうございました。来年も有益な記事を書いていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。
それでは、良いお年をお過ごし下さいませ。

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