こんにちは。ゲームを楽しみながら、ブログを書いているたかほしです。
今回は「絶対に友達になってはいけない人の言動」について書かせて頂きます。
友達を間違えてはいけない理由。
どんな人とでも仲良くしたり、友達になることは非常に素晴らしいです。友達を正しく選ぶと、どんなことにも挑戦意欲が増したり、行動力が爆上がりすることでしょう。
しかしながら、友達を間違えるだけで今まで誠実だったのが、急に意地悪な性格に変わってしまいます。また、前まで行動できていたことが、消極的になってできない理由を考えるようになってしまいます。
これほど友達選びは非常に重要だということです。
この人大丈夫?絶対に友達になってはいけない人の言動とは?
ここからが重要なので、最後までお読みください。
「普通」、「常識」などという言葉をよく発する人。
あなたの身の回りに「普通」や「常識」という言葉を発する人はいませんか?「普通」や「常識という概念は人によって異なります。これらの言葉を発する人は自分の信念をもっている反面、相手に価値観を押し付けるという短所があります。また、正義感を振り翳す人でもあります。
あなたの行動に対して正解はありません。あなたの行動が正しいと思ったことを実践して、自分なりの答えを導くことが大切なのです。その先に正解があるのです。
例えばあなたはとんかつが大好きとします。
とんかつといえば何をつけて食べますか?ここに正解はないとは思います。
何もつけずに食べるのが大好きという人もいれば、しょうゆやポン酢をつけて食べる人、タレをつけて食べる人など様々だとは思います。
因みに僕はポン酢をつけてとんかつを食べるのが大好きなので、とんかつ屋に行ったら、必ずポン酢を出してもらいます。それほどポン酢派なのです。ポン酢がないときはタレをつけたり、何もつけないなど日によって様々です。
僕の話になっちゃいました。すみません。話を基に戻します。
とんかつを例にして話をしましたが、もしあなたの身の回りに「とんかつといえば普通○○をつけるやろう」、「そんな食べ方するお前は変わり者」といって、価値観を押し付ける人がいたら、その人とは友達になるかは考えた方がいいですよ。
お前のためを思って言っている。
この言葉も一見まともなように聞こえますが、注意した方がいいです。
「お前のためを思って言っている」という言葉の裏側には、「私の言うとおりにしなさい」というメッセージが含まれています。
あなたはこの言葉に苦しめられた経験はありませんか?僕はあります。
この言葉を発する人は支配者欲が強い人が多いです。そして、こういう人は求めてもないアドバイスを平気でしたり、「心配」という手段を使ってあなたをコントロールする人です。
ですので、間違っても「自分のことを思ってくれているんだ」ということは絶対に考えてはいけません。
本気であなたのことを思って言っているのであれば、あなたが本当に困った時にだけアドバイスをする人です。また、どうしても指摘や注意をしないといけない時には、「もしかしたら気分を害するかもしれないけど、これを言わせて下さい」などというクッション言葉をつけることができます。
本当にあなたのことを思っている人かどうかを見分ける判断材料は、あなたのことを尊重して、配慮できるかどうかです。これを間違えなければ大丈夫です。
そんなことしているの?
あなたは人から「そんなことして何か意味あるの」、「そんなこと考えるお前は変な奴」と言われた経験はありませんか?
この言葉を言われるとイラッとしたり、悔しい感情が湧き出ますよね。また、その行動によって否定されたことで、自分を責めてしまうことってありますよね。あなたはあなたなりに頑張っているのに、それを否定されるのですから、悔しくなる気持ちすごく分かります。このような言葉っていうのは冗談でも言ってはいけないことだと僕は思います。
「そんなことを言うお前は心が狭い奴」と思われるかもしれませんが、はっきりと言わせて下さい。相手の行動に対して否定するということは苛めと同じことです。
大切なことは相手の行動に対して口出しをしないことです。そして、アドバイスは相手から求めてきてから始めてしましょう。
私たち友達だからさ。
この言葉も注意した方がいいです。
例えばあなたは友達に何か行動することを話した時に、「友達だから言うけど、それはやめた方がいい」と言われたことはありませんか?これは一見優しい言葉かもしれませんが、この言葉は無視しても大丈夫です。
「友達」というのは、お互いが尊重し合い、居心地の良い関係が継続して成り立つことです。どういうことかというと、相手と接していく中で、居心地が良いと思えば友達になれば良いですし、居心地が悪いと感じた時は、友達をやめることができます。つまり、友達になる権利は選ぶあなたにあるということです。
友達になるならないに限らず、相手から「私たち友達だよね」と言われたら窮屈な気持ちになりますよね。この言葉こそ注意が必要なのです。
この言葉は「友達」という手段を使って、あなたをコントロールする人です。そして、こういう人はあなたのパーソナルスペースに土足で踏み込む人です。
あなたをコントロールするからこそ、理に叶わなければ、「友達だよね」という言葉を乱用するのですよね。つまり、相手と自分の課題を区別することができない人なのです。
本当にあなたのことを友達だと思っていれば、そもそも「私たち友達だよね」という言葉は使わないです。何よりも友達であるあなたの行動を共感して分かち合うことができる懐が広い人です。
そんなことも分からんのか?
この言葉は相手の人格や能力を全否定する言葉です。この言葉を発する人は気持ちを発散することができるでしょうが、言われた相手はすごく傷つく言葉です。そして、言われた相手はどんどんと質問をするのが怖くなってしまうことでしょう。
これを言われたことが原因で人に質問をするのが怖くなったという話もよく耳にします。これほどこの言葉の威力は恐ろしいものです。
「そんなことも分からんのか」という言葉ほど、上から目線の言葉が見つかりません。仕事でこのような言葉を発することはもはやパワハラです。
仮にこのような言葉を発する人が友達だった場合、関係を続けることはやめることをお勧めします。
本当に友達ならば、あなたが分からないことに対して質問をして、的確に解決へと導いてくれる人です。
○○してあげたのに。
この言葉は恩着せがましい言葉です。「○○してあげたのに」ということは、「友達なのに」という言葉にも置き換えることができます。
あなたはこの言葉に対して違和感を感じたことはありませんか?最初は「友達だったのに」と言われた瞬間、焦る気持ちが先行しますよね。
なぜならば、「友達なのに」と言われたら、「言うことを聞かないといけない」という義務感が発生するからです。冷静に考えて下さい。義務感で行動する必要ってあると思いますか?僕はないと思います。
義務感で行動した瞬間、もやもやが発生します。また、「友達なのに」という言葉を使って相手をコントロールすること自体、友達ではありません。
「これをしてあげたのに、あなたは何もお返しがない」という言葉は見返りを求めている行為です。
ここで質問です。その行動をしたのは誰のためですか?「相手から喜ばれたい」と思ったからですか?だったら、その行動に対して相手がどう思うかというのは相手の自由ですよね?
自分のためであれ、相手にどう思われるにせよ、「その行動をやるかどうか」ということを判断したのはあなたですよね。だったら相手に見返りを求めるのは筋が通っていません。
ですので、少しでもこのような言葉を聞いた瞬間、違和感を覚えた方が良いです。そうじゃないと、あなたが今後振り回される可能性が非常に高いです。
本当の「友達」というのは、見返りを求めない人です。また、ありのままのあなたを素直に受け入れてくれる人です。
そんなことだからダメなんだ。
この言葉も人格を否定する言葉です。特に人を注意するときや叱る時に使われるフレーズです。
しかしながら、言った側は注意しただけかもしれないですが、言われた側はすごく傷つきます。ただの注意がハラスメントになります。
「叱る」と「怒る」は一見同じ意味かもしれませんが、全く意味が異なります。
「怒る」というのは、ただ攻撃をしてストレスを発散するだけの手段であり、「叱る」というのは、相手に配慮しながら指摘をして、相手の在り方を尊重することです。
「親しき中にも礼儀あり」ということわざがあるように、友達であっても、叱り方にも配慮が必要です。
そんなことしても無駄。
この言葉も相手を否定するフレーズです。無駄だということは何で分かるのでしょうかね。まだ何も状況は変わっていないのに、無駄だと決めつけるのは違うと思います。
この言葉を言われると、何も行動する意欲も起きなくなります。そして、この言葉は人の行動を抑制することにも繋がります。
本当の友達であれば、相手の意見や行動に対して、しっかりと尊重することが大切です。仮に行動したことが無駄だとしても、次回の行動はどうしたら良いかなど一緒になって考えることが得策ですよ。
あなたって○○だよね。
「あなたって○○だよね」というフレーズはラベリングといいます。
「ラベリング」とは、簡単にいえば相手を決めつけることです。
例えばあなたは相手から「重い子が激しいね」、「仕事が遅いね」、「いつも一人ぼっちで寂しいね」と言われたことはないでしょうか?これはすべてラベリングです。
相手からラベリングされ続けると、脳が本当に反応して、そのような性格になってしまいます。
「思い込みが激しい」と言われ続けると、本当に思い込みが激しくなりますし、「一人ぼっちは寂しい」と言われ続けると、一人ぼっちでいることが寂しくなってしまいます。これほどラベリングというのは怖いのです。
ですので、今友達だと思っている人からラベリングをされた瞬間、その人との関係は見直した方が良いですよ。
そんなことも分からんのか?
このフレーズはマウント発言で、相手を見下している言葉です。
あなたの身の回りにこのような言葉を発する人はいませんか?この言葉を多用する人は競争心が高くて、「白か黒」でしか物事を見ることしかできない人です。いわば視野が狭いとも言い換えることができます。また、この言葉を発する人は偏見が強い人です。
自分の賢さをアピールしたい人とも言い換えることができます。こういう人が身の回りにいると、常に承認をしないといけないので、あなたが疲弊する可能性が十分高いです。
もし、あなたの身の回りにこのようなフレーズを発する人がいるなら、適当に褒めちぎってあげましょう。そうするだけで、相手からの攻撃も和らぐかと思います。
意外にできるんだね?
「あなたがそんなことできるなんてかなり意外」、「仕事ができていないと思っていたから意外」と言われた経験はありませんか?この言葉は誉め言葉ではありません。この言葉は見下し発言です。
この言葉をよく乱用する人は、常に相手を下に見ています。そして、こういう人は何事も上下で物事を見て、勝ち負けにも固執している人です。
言われたあなたはきっと傷つくことでしょう。もしこのようなフレーズを少しでも友達が使ったのであれば、相手との関係は見直した方がいいですよ。
障害者当事者に「可愛そう」というフレーズは絶対にNG。
このフレーズは、きっと僕以外の視覚障碍者の人もよく言われていると思います。この言葉は心配しているように見せかけているだけのフレーズです。人は心配をされると窮屈な気持ちになります。
ある程度の心配なら何の問題はないのですが、行きすぎた心配は余計なお世話になります。
障害者の当事者もきっと辛い過去を乗り越えてきた人ばかりですし、その過去を乗り越えてきたから、今の自分があるのだと思います。
障害者の当事者本人が今を楽しんでいるなら、それで十分ではないでしょうか。他人であるあなたは介入する必要なんてないのです。
相手が「楽しい」と思っているならば、放置をすれば良いのです。その代わりに、障碍者の当事者の方から助けを求めてきた時に精一杯手を差し伸べれば良いのです。
ですので障害者の当事者に「可哀そう」というのは絶対にやめましょう。それを言った瞬間、相手との関係は終わったと思った方がいいですよ。
仮に僕が相手から「可哀そう」と言われたら、すぐに友達をやめます。他人に自分の人生を委ねたくないですからね。
嫌なことを言われたら落ち込むのは当たり前。
人間誰しも嫌なことを言われたら、落ち込みます。これは生理現象と同じなのです。
あなたは相手から嫌なことを言われた時、「気にしない気にしない」と思ったり、無理矢理前向きになろうと頑張ってはいませんか?そして、嫌なことを言われてもすぐに立ち直ろうと練習しても嫌な言葉がフラッシュバックしてしまった経験はないでしょうか?
これらの要因が起きるは、よく親や学校で「嫌なことを言われても怒ってはダメ」、「そんなこと気にする必要はない」と言われたからだと僕は考えます。ですので、これらの言というのは綺麗事にも聞こえる時があるでしょう。その結果、我慢をする選択しかなかったはずです。
我慢をしないといけないから、負けた気持ちになったり、言い返せない悔しさが込み上げて無力感に襲われますよね?その気持ちすごく分かります。でも、そういうことをする必要がないので、今日で我慢することは卒業しませんか?
そんなあなたに朗報です。人間は嫌なことを言われたら感情が出るのは当たり前です。これはしっかりと脳に刻み込んでください。
間違っても、嫌な感情が起きた時、「怒ってはいけない」、「悔しがってはいけない」と自分の感情に蓋をすることだけはやめましょうね。
自分の感情に蓋をするということは、自分の感情を否定していることと、ありのままの自分を否定していることになります。
我慢をすることは、自分のありのままの感情を無視していることにもなります。我慢には必ず限界があります。その状態を無視し続けると、心も体を壊しかねません。
なので、今日からは自分の感情に対して正直になりましょうね。
具体的には、「怒ってはいけない」ではなくて、「嫌なことを言われたら怒るよな」
「悔しがってはいけない」ではなくて、「自分の生き方を否定されたら、誰しも悔しがるよね」
「我慢してはいけない」ではなくて、「今俺(私)感情が出ている、人間だから当たり前」、「よっしゃー、感情が出ている自分は正常な人間」
まずは感情が出た時、これらのセリフを練習してみて下さいね。きっと心が軽くなるはずです。
絶対にやってはいけないことは、感情的になったからといって人に八つ当たりはしてはいけません。これをすると、あなたの評価は下がります。
普段から人前でイライラする癖があるなら、感情的にならない練習が非常に重要になります。
他人の言動に振り回される必要はない。
人間はどうしても他人の言動に大きく影響される生き物です。例えばあなたは自分で褒めるのと、人から褒められるのでしたらどちらがよろしいでしょうか?シンプルに後者ですよね?
ですので、他人から心無い言動を言われ続けると、心が揺れ動いて、落ち込んだり、悲しんだりするのです。これほど他人からの言動の影響力は大きいものなんですよね。
こんな他人の言葉に振り回される必要ってありますか?ないのではないでしょうか?ですので、あなたはあなたの信じる道を進めば全く問題はありません。道中で他人からとやかく言われるかもしれませんが、それで十分なのです。
他人の言動に振り回されると、自分を見失います。もう他人にあなたの人生を委ねることは終わりにしませんか?もっと自分らしく生きれば心が楽になりますよ。
他人は変わらない理由。
あなたはきっと経験したことがあると思いますが、相手に「心の底から変わって欲しい」と思う人ほど、何をしても変わらないですよね。それってなぜだと思いますか?
その要因は2つあります。
1つ目は、相手自信に変わりたいという気持ちがないから
もう1つは、性格を根本的に変えるには、専門家じゃないと難しいからです。
どうでしょうか?相手が変わらない理由ってご理解頂けましたでしょうか?この事実を知っただけで、相手に対しての、負の感情が少しは和らぐのではないでしょうか?
相手が変わる気持ちがないのに、あなたが相手に対して一方的に「変わって欲しい」と望むのは、余計なおせっかいだということに気づいて下さい。
相手が仮に相手が変わるとするならば、その人自身に大きな変化が起きた時です。
具体的には失礼なことを言って雷を落とされた
失礼なことを言い続けて、周囲の人がその人から離れていき、一人ぼっちになった
このような変化が起きて、人は初めて変わる選択をするのです。
とは言っても、人によってはどれだけ変化が起きても、変わらない人は一生変わりません。
「変わるかどうか」という選択肢は相手にあるということです。
ですので、あなた自身ができることは、相手に対して「変わって欲しい」と期待をすることではありません。相手を放置することです。そして、目の前の相手に対して感情的にならない練習をすることです。
このような練習をすることができると、感情に支配されることはほぼ減っていくはずです。
仲良くしようと頑張る必要はない。
よく親や周囲の大人はこんなことを言っていませんでしたか?それが「どんなに酷いことを言っても必ずその人にはいいところがあるから」、「世の中色々な人がいるから、その人とうまくやっていかないとダメ」などです。
確かに世の中を生き抜くためには、こういう人と仲良くできることに越したことはありません。そして、安心して下さい。
酷いことを常に言って、攻撃する人にいいところなんてないことなどは僕も十分と理解しています。こういう人達に苦しんでいるから、あなたはこの記事を読んで下さっているのですよね。
ではどうしたら良いのかというと、苦手な相手とは仲良くしようと頑張らなくても何の問題はありません。
「仲良くしよう」と頑張るからこそ、あなたは疲れるのです。では、なぜ苦手な人と無理してまで仲良くしようと頑張ってしまうのかというと、これも先ほど話した通り、「どんな人とでもうまくやっていかないといけない」と教わったからだと考えています。正直に言います。どんな人とでも仲良くすることなんていうのは、絶対に不可能です。
ましては常に攻撃をして、ストレスの捌け口にしたり、棘のある言葉で相手を傷つける人、相手の感情を平気で揺さぶって喜ぶ人、こういう人達と仲良くすることなんて絶対にできませんよね。その気持ちすごく分かります。
「こういう人と友達になりたい」と頑張ってはいませんか?きっと急いでしまうからこそ、仲良くしようと頑張ってしまうのですよね。もうそんなことはしないで下さい。あなたが苦しまないために重要なことは、相手を観察することです。
初対面の相手からいきなり友達になるのではなくて、最低3回はその人の人間性を観察することです。そして、その間に仲良くするかどうかという準備をすれば何の問題はありません。
そして、数回友達になりたいと思っている相手に違和感を覚えれば友達をやめる選択だってできますし、「この人と仲良くできそう」と思ったら友達になれば問題はないのです。
相手を観察するところから始めていけば、心にも余裕が生まれてくるはずです。
実体験あり、相手をリスペクトできるスキルが身について起きた変化とは?
かつての僕は人から心無いことを言われたら、すぐに感情的になっていました。具体的に相手から「目が見えないことは可哀そうだね」、「一人で家に帰ることはできる」と言われた瞬間、心が揺れ動きました。そして、この時に僕は心の中で「うるさい、放っておいてくれ」、「お前には関係ないから黙っておけ」と内心イラっとしていました。今になれば大人げなかったと反省しています。
ところが、今になれば、相手から心無いことを言われても感情的になることがかなり減りました。
それはなぜかというと、僕は相手に言われっぱなしで、自分のメンタルが崩壊して、病気になるのが嫌だったので、このような人から身を守るために色々と人間関係について勉強をしていきました。
人間関係について勉強をして、最初にやり始めたのが、相手を無条件にリスペクトすることです。
「リスペクト」といっても、よく使われる相手を敬う意味ではなくて、相手のありのままの状態を尊重する感覚のことです。「ありのまま」とは、具体的に相手が「優れていようと、優れていない」など、関係がないことです。
この世の中では、それぞれの人が事情を抱えて生きています。
生まれもった性質、経験したこと、育てられた環境、周囲にどんな人がいたかなど人によって経験の度合いなどというのは違うと思います。
こうした事情の中で、それぞれの人が試行錯誤しながら頑張って生きているのです。
この感覚を養うまでには、かなりの時間がかかりましたが、今では自然と相手を無条件でリスペクトできるようになってきたのです。僕はこの瞬間、もっと図太いメンタルを手に入れたいと本気で思ったのです。
とは言いつつも、人間なので心無いことを言われたり、感情を揺さぶられる言動をされるとイラっとします。ただ、当時に比べては負の感情に支配されることが少なくなったことは確かです。
なので、相手がどうしてそのような言動に至ったのかということを深く知るために、人間関係の勉強を進めていきました。
すると、相手を無条件でリスペクトするだけでは不十分だということに気づきました。
なぜならば、無条件で相手をリスペクトすることは、どんな人も受け入れる状態だからです。この話を聞くだけでは、もしかすると「全員受け入れましょう」というような、学校の道徳のような授業を思い出すかもしれませんし、勉強し始めた当時の僕もこんなことを思っていました。まだまだ浅い部分しか知ることしかできていなかったのです。
こんな状態であれば、疲れた時などは無条件で相手をリスペクトできる余裕がなくなることも十分と理解していたので、もっと深く学ぶことを決心したのです。
深く学んだこととは?
僕は相手がどうしてそのような言動に至ったのかという背景を知るために、人間関係の勉強をしていきました。
すると、分かったことがあります。人は過去の体験などの出来事に影響されて、今のその人があるということです。
例えば、相手がすぐに否定的な言動をするのも、過去の事情によって影響されたからだとも言い換えることができるのです。
それは、もしかすると、その人が自分の道に進みたい時に、周囲から反対されたり、バカにされて悔しい経験をした、苛めを受けて心の傷が消えていないかもしれませんし、正義感を振り翳してしまうのも、その人が周囲と違った考えをして批判を受けたり、意見を言言うことを許されないまま大人になったかもしれません。
このように人は過去に様々な事情を経験して、価値観が形成されたまま大人になっていきます。
この事実を知った瞬間、心無いことをいう人にも、色々と事情がある中で、「頑張っているんだ」という認識に変わり始めました。
ただ、「目が見えなくて可哀そう」、「目が見えないんだからそんなことやめておきなよ」という人のことは、本心から好きにはなれません。
好きにはなれないから、友達になることなんてできません。
だからといって、こういう心無いことを言う人に対して、怒りや悔しさを感じてメンタルが不安定になるのは少し違うかなとも思いました。
なぜならば、自分も心無いことを言う人と同じ過去を経験していたら、同じ人間になっていた可能性は十分あるからです。また「心無いことを言われてムカつく」、「そんなこと言うな」と怒りを覚える状態は、自分は「被害者」とアピールしていることにもなりますし、ましてはこのようなことを言うのは、自分の価値観のルールの押し付けになることにも気づきました。
こうして、心無い人に対しての認識が変わったことで、その人達から感じるストレスがほぼ減りました。
なお、このような認識というのは、苦手な相手にも応用できます。
僕はこの瞬間、苦手な相手に対して、「とやかく言っていた時間が本当に無駄だったんだな」ということに気が付きました。そして、自分には相手の事情なんて分からないからコントロールできないと、いい意味で割り切れるようにもなりました。
僕はこれに気づいてから、心無いことを言う相手が現れても、「この人は何かしらの事情があるんだな」と自然と考えられるようにもなったので、感情的になることもほぼ減ったのです。
このような考えができたことで、僕自身の心にも大きな変化が起きたようにも感じます。そして、当時は重たい鉛が頭の中に入っていた感覚に襲われていましたが、人間関係に対してストレスを受けなくなったことで、このような感覚も今ではあまり気にならなくなりました。
こうして僕は図太いメンタルを手に入れることができるようになったと共に、適当に生きることも徐々に覚えていきました。
「適当」というと、悪く聞こえるかもしれませんが、ここでいう「適当」とは、「物事の思考を楽に捉える」という意味です。
僕はこの考えができるようになったことで、どんなことに対しても「仕方ない」と思えるようになりました。
実際、仕事をしながら、ブログを書いたり、動画配信をしています。
仕事が忙しいと、どうしてもブログを書く時間や、動画配信をする時間も少なくなります。そして、仕事を頑張ったからこそ息抜きをしたいのが正直なところ本音です。
当時は仕事が忙しくても、「ブログと動画配信も頑張らなければいけない」と思っていましたが、楽に考えることができるようになってから、「今日は仕事を頑張ったから、仕方ない」、「少しでも配信ができる準備ができたから、これでいい」と思えるようにもなりました。
最初は行動に踏み切るまでには、すごく勇気のいることでしたが、今では自然とこのように考えられるようになりました。
頑張る時は頑張り、楽するときは楽するというバランスは大事かなとも思います。そして、頑張る時は、精一杯頑張れば良いのですから。
これが適当に生きる強さだと僕は思います。そうすることで、心にも余裕が生まれてくると僕は考えています。
ということで、適当に生きながら、ゲーム配信をしていきたいと思います。
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