全盲の当事者が語る。健常者の人に気づいてほしいこと。

こんにちは。
たかほしです。
毎日ミューパラを聞いています。
今回のメッセージテーマだった「気づいてほしいこと。」についてお伝えします。

視覚障碍者の当事者が語る気づいてほしいことは、信号を渡るときに声をかけてほしい。

僕は結構出かけます。
その時に思うのが
途中渡る側の道で信号が青になっているときです。
このときに、「渡ろうか?」
「渡って途中赤になったら危ないから次の信号が青になるまで待とう。」と思うことがあります。
これは全盲の僕だけではなく
「ロービジョンなどを含んだ多くの視覚障碍者が頭を悩ませる問題。」だと考えています。

視覚障碍者にとっては
「信号を渡る。」という行為はハードルが高いことなのです。
健常者の人は
「何であの人通らないの?」と思う人がいると思います。
渡らないのではなく、渡ろうかどうかを考えているのです。
ですので、信号で困っている視覚障碍者を見かけた時は、
近場にいる健常者の人は遠慮なく声をかけてほしいのです。

僕が困ったときにアピールする方法。

手を上に大きく振る。

僕は信号で困るときがあります。
その時にするのが、
手を大きく振ることです。
これをしても、近場にいる人や人と話して気づいてもらえないことがあります。
僕はそれでも「どうしてこのようなことをするのか?」というと、
遠くの人にも「困っているから助けてほしい。」とアピールできるからです。
そうすることで、「困っているんやな。」と気づいてもらえると考えているからです。

ストレートに声をかける。

僕は赤信号で待っているときに
近場にいる人に「青になったら教えてください。」とストレートに言います。
とはいっても以前の僕はこういうことができていなかったです。

というのが、声をかけて
「無視をされたらどうしよう。」や、
「返事がなかったらどうしよう。」と考えていたからです。
しかし、思い切って相手に「青になったら教えて下さい。」と伝えると
ほとんどの人が教えてくれます。
そして、途中青になっているときも、
周囲が渡っている様子を耳で聞いたり、
同じ方向を渡ろうとしている人に正直に
「今青ですか?」と聞きます。
これも結構わたりながら答えてくれたり、
「一緒にわたりましょうか?」や、
「お手伝いしましょうか?」と言ってくれる人がいます。

大きな声で助けを求める。

僕は大通りや
クラクションを鳴らされたときに方向が崩れるときがあります。
そして、なかなか歩道に辿り着かずパニックになることがあります。

自分が普段歩いている道で違う感覚になるとなおパニックになります。
僕はこのとき、「助けてください。」と大きな声で言います。
大きな声を出すのは正直恥ずかしいですが、
自分の命が大事ですので
方向が崩れて車道にいる時は大きな声で叫び助けを求めます。

白杖を道に振ってアピールする。

道を歩いているほとんどの人がスマホを見ながら歩いたり、
人と話しています。
その結果、視覚障碍者の人が近くにいても通り過ぎます。
僕は上記の方法を試して反応がないときは
道に白杖をトントンと音を立ててアピールします。
そうすることで、「全盲が困っている。」とアピールできるからです。
左右に振ると人に当たるので上下に白杖を振ります。
そうすることで、「何か困っていますか?」や、
「何かお手伝いをしましょうか?」と声をかけてくれます。

全盲の当事者からのお願い。

信号を渡るということは
全盲だけに限らず
視覚障碍者にとっては非常にハードルが高いことです。

健常者の人は信号の色が変われば、
「渡るか?泊まろう。」と判断はできます。
ところが、視覚障碍者の人はこういう判断が難しいのが事実です。
最近では平気で信号を無視する人が多くなってきています。
視覚障碍者の人はこれに惑わされる人が多いことだと思います。
このように困っている視覚障碍者は多いことでしょう。
ですので、道を歩いているときに
白杖を持っている視覚障碍者の人が信号で困っている時や
信号の前で待機している視覚障碍者の人の姿を見たら
声をかけてほしいです。
どんな些細なことでもいいです。
「お手伝いしましょうか?」
「青になりましたよ。一緒にわたりましょうか。」など声をかけてもらえると安心感が生まれます。
仲には断る視覚障碍者の人はいるかもですが、
声をかけられて気分の悪い人はいないはずです。
そもそも、白杖を持っている視覚障碍者の人が目の前で立っているにもかかわらず、
通り過ぎる人は正直冷酷ですよ。
「自分がそれをされたらどう思うか?」と想像力が働かないのだと思います。
僕は声を出して言いたいのですが、
そういうことをする人は、
一度アイマスク生活をして、見えない人の気持ちを考えた方がいいですよ。

視覚障碍者の人の心得。

感謝とお礼は伝えよう。

視覚障碍者の人は
「困ったときは声をかけてほしい。」というのが正直な気持ちだと思います。
そこで、視覚障碍者の人も大切なことがあります。
それは。声をかけてもらい、助けてもらったときは
感謝とお礼は伝えましょう。
声をかけてもらうことは当たり前ではないのです。

「そんなことお前に言われなくてもわかっているは。」と怒られるかもしれません。
しかし、中には逆に「俺は視覚障碍者なんだぞ。」
「声をかけて当然やろう。」
と逆ギレをして、
横柄な態度を取っている人がいます。
これは本当に視覚障碍者の印象を下げるのでやめましょう。

大切なことは、
声をかける人も「断られるかもしれない。」という気持ちもありながら勇気を振り絞って
視覚障碍者のあなたに声をかけて、
助けたのです。
感謝の気持ちを伝えて気分の悪い人はいないはずです。
それよりも、「この人の力になれてよかった。」と思うはずですし
「また同じ視覚障碍者の人に力になれるように頑張ろう。」という気持ちにもなります。
僕は必ず「ありがとうございます。」と伝えています。
それに加えて
「気を付けて行ってください。また会った時にはお声掛けしてくださいね。(笑)」と伝えています。

笑顔を示す。

相手に助けてもらった時は
笑顔で感謝の気持ちを伝えましょう。
真顔で感謝の気持ちを伝えるのと、
笑顔で相手に感謝の気持ちを伝えるのでは、
言われた人はどちらがうれしいと思いますか?
もちろん、後者だと思います。

助けてほしい時もなかなか相手に気づいてもらえなくてもどかしい気持ちになると思いますが、
この時も笑顔で相手に助けてほしいアピールをしましょう。
ここで怒ると、
相手からは話しかけ辛いオーラが伝わり
声をかけてもらいにくくなります。
ですので、助けてほしい時も笑顔で示しましょう。

断るときも相手に感謝を伝えよう。

あなたが普段生き慣れている場所でも声をかけてもらうことがあると思います。
そのときに断ることがあるはずです。

ここで大切なことは
「上手に断れるか?」ということです。
ストレートに断りたい気持ちはわかりますが、
自分の思いを正直に言うと角が立ちます。
ですので、断り方も重要になります。

なお、僕の断り方は次の通りです。
「ありがとうございます。いつも通っている道ですので大丈夫です。」
「ありがとうございます。また困っている時を見かけたらその時もぜひお声掛けしてください(笑)。」
と伝えます。
こうすることで、仮に断られたとしても
「次回も声をかけよう。」という気持ちになるはずです。

「助けてほしい。」ということをアピールすることはカッコ悪いことではない。

僕は困ったときは正直に「助けてください。」と言った方がいいと思います。
自分ができることは自力で頑張ればいいのです。
僕は生きていて思うことがあります。
「『助けてほしい。)と言うことはカッコ悪い。」と思う人が多いことです。
それとともに、「人に聞かず自分で考えなさい。」という謎の風潮が未だに横行していることが不思議で仕方ないです。
その結果、「自分で考えることが美徳。」という古い体質が未だに根付いています。
僕はこの教育が未だに横行しているからこそ、
正直に「助けてほしい。」と言える人が少ないと思います。
そんなことはないのです。
困っている時は正直に「助けてほしい。」と言っても大丈夫なのです。
その代わりに助けてもらった時は、
感謝の気持ちを伝えれば何の問題はないのです。
これさえできれば問題はないのです。
とはいっても、自分が本当にできることまで相手に任せることは依存になります。
頼むことと依存は全く違います。
「頼む。」ということは、自分のできないことを相手の力を借りるということです。
頼るということでもあります。
「依存。」は、自分のできることもすべて相手に任せることです。
俗にいう、頼みすぎと言うことです。
依存しすぎると、
相手から「自分で考えて行動しなさい。」と言われるのは当然のことです。

大切なことは、「自分ができることは何なのか?」
「ここまでは自分でして、ここは人に頼もう。」と線引きをすることです。
できることは本当に自分で頑張り
困っているときは素直に人の力を借りればいいのです。
そして、「声をかけるのは申し訳ない。」とも思わなくてもいいのです。

「まだまだ冷たい人が多い。」というのが本音。

僕は道を歩いたり、
電車に乗っていて思うことがあります。

「まだまだ視覚障碍者への理解が低い。」ということと、
困っている視覚障碍者がいたとしても通り過ぎる人や
白杖を持っている視覚障碍者の人が電車で立っていたとしても見過ごす人が多いことに残念で仕方ないです。
僕は電車でもスマホに目が行き、周囲に気を配れない大人が多いとも感じています
これが、空いている席があったとしても声をかける人が少ないのです。
こういう人がどんどんと増えているように思います。
こういう人がどんどんと増えると助け合いからは程遠くなると思います。
「白杖を持っている。」ということは
「視覚障碍者。ということを周囲にアピールしているのです。
健常者の人は、
席が空いていると、座ることができますし、
信号が変われば「渡ることができる。」と判断することができます。
白杖を持っている人は、このような判断自体が困難なのです。
ですので、周囲の人は白杖を持っている視覚障碍者の人を見かけた時は
一言でも声をかけてほしいのです。

もっと助け合える世の中になり、
「認め合い、応援し合える世の中になってほしい。」と考えています。
「このブログが将来たくさんの人に知れ渡ればいいな。」と思い書かせていただきました。

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