視覚障碍者あるある。服の色を伝える大変さがある。20代を振り返ってみた。

こんにちは。
たかほしです。
全盲の視覚障碍者です。
今回も全盲あるある記事をお伝えします。

弱視時代はこだわりの色の服があった。

僕は26歳まで弱視でした。
ですので、「みかんの色はオレンジ色。」
「信号の色は赤色。」
「レモンの色は黄色。」という色のイメージ
は覚えています。
僕は弱視時代は色んな色の服を着ました。

そして、中学生の時は
オレンジにハマり、
18歳から30手前までは赤色
にハマりました。
しかも、僕は結構厄介な人間で、
色のこだわりがめっちゃくちゃ強かったのです。
自分の思った服の色じゃないと
店員に怒鳴ったり、
「もっと俺がわかるイメージで説明しろや。」と店内で大声で叫んだこともありました。

詳しくは以下の記事を参考に
Tシャツトーク。オレンジ色のTシャツが大好きだった。驚きの行動とは?

全盲になって大変だったこと。

僕は最近を買うことも減りました。
しかし、弱視時代は服をよく買いました。
20台の時は赤色にハマりました。
ですので、20台の時は赤色の服を着るために毎日長袖のトレーナーを着ていました。
夏場の暑い時もですよ(笑)。

そして、ズボンはアイボリーと必ず決めていたのです。
それで、僕は結構赤へのこだわりが強かったです。
イメージとするならばイタリアンカラーの赤色です。
もっとざっくりといえば
イチゴのようなイメージの赤色が大好きだったのです。

この赤色よりも、
薄過ぎたり、
濃すぎたりすると僕は許せなかったのです。

僕は赤色が大好きで、
同じ赤色のトレーナーを10枚以上まとめ買いをしました。
当時購入した時は
「これだけ持っていれば20年近く赤色を着れる。」とワクワク感いっぱいでした。

しかし、事は思い通りにはいきませんでした。
それは、同じ服を毎日着ているので
汗で濡れます。

そうすると、洗濯することも多くなりますよね?
そうすると、汚れも目立つようにもなります。
更に服も傷みやすくなります。
そうなれば、
予備の服を買うために、
服屋に行きました。
すると、自分の思っているようなイメージの赤と出会うことがなかったのです。
その一方で、
朱色の赤色や、
えんじ色や、アズキ色の赤色
はお店に置いていたのです。
このように、当時は赤色の服が欲しくて、
毎週のように、服屋に行っていました。
そうしていくうちにも、
だんだんと服の生地も傷んでいきました。

店員と僕の思っている色のイメージがズレていた。

僕は毎日のように赤色のトレーナーを探しに行きました。
「赤色が置いている。」という事実を知ったら、
必ずそのお店に行っていました。

そして、お店に行くものの、
自分の思っている赤色のイメージと
店員が想像している赤のイメージにギャップ
があったのです。
僕が欲しかったのはイチゴ色の赤が欲しかったのです。
店員に僕が思っている服のイメージの説明をして、
店員が「あぁ。そのような赤色は置いていますよ。」や、
このようなセリフを毎回電話でも教えてくれました。

それでも思っているような赤色のイメージのトレーナーとは出会わなかったのです。
僕はそれでも諦めませんでした。
何店舗も回っても自分の思っている赤色に出会わなかったのです。
問い合わせをしたお店の店員から、
「赤は置いています。」という回答が返ってきたら
僕は必ず「どんな服のイメージですか?」と聞きます。
すると、「少しオレンジが飼った赤色。」
「少しくすみがかった赤色。」などと教えてくれたのです。

その一方で、
「イチゴ色の赤がある。」という答えが返ってきたら、
必ずそのお店にすぐに行きましたよ。
それでも買うことができなかったのでショックでした。
これが、
「僕が思っている色の感覚と、店員が思っている色の感覚の違い。」ということに
気づいたのです。
僕はそれでも頑張りました。

ショッキングピンクに出会った。

僕は実は赤が好きになったタイミングと同時に
ショッキングピンクも好きになったのです。

僕が好きなショッキングピンクの色のイメージは、
赤色とピンクが混ざったような濃いめのピンクが好きだったのです。

20台までは、
原色系で濃い色の服が大好きだったのです。
僕はよく「女性っぽい。」と言われていましたが、
それは無視していました。
なお、好きな服を着るのは、
「男性も女性も関係ない。」と思っています。

自分が着たい色は堂々と着る権利があります。
僕は実は赤色が好きで、
毎日のように赤色の服を身に行きました。
それと共に、
ショッキングピンクも同時に探していたのです。

当時まとめ買いをした赤色のストックが3枚しかない状態の29歳のことです。
僕はあるお店でショッキングピンクのトレーナーと出会ったのです。
僕は10年以上追い求めていた服とようやく出会って
お店の中で大絶叫してしまいました。
店員に対して
「ヤッター。そうそう。俺が求めていた服があった。」と喜んだのを今でも覚えていますよ。
僕はこの時にはためらわず店内に置いていた
ショッキングピンクのトレーナーを買いました。

確か3枚お店に置いていたと思います。
1枚1万円以上のトレーナーだったので、
合計で3万円出して購入しました。
この時は思い切って奮発しました。
そして、その服が置いているお店に取り寄せまでしてもらい、
29歳の時には、
ショッキングピンクのトレーナーを買うだけで10万近く使いました。

今になると、スマホ1台並みのお金を使いました。
僕は嬉し過ぎて仕方なかったです。
これで赤色が少なくなっても気にならなくなりました。

20台の時は僕は赤色を着ることで有名人になった。

僕は20台の時は赤色を着ていました。
夏場になると赤以外の半袖を着ていました。
冬場になると
僕は毎日のように赤色のトレーナーを着ていました。

そうすることで
周囲からは、
「たかほしさん。赤は今日は着ていないのですね?」
「たかほしさんはいつも赤色を着ているイメージなので、違う色だとイメージが違いますね。」
と言われたのです。
いわば、僕と言えば赤色のトレーナーを着ていることで
有名人になっていたのです。
「いいことなのか?」
「悪いことなのか?」

このように、周囲からはインプットされていたのです。
今になるといい思い出になりました。
しかし、30台になった瞬間、赤はほとんど着なくなりました。
というより、ここ2、3年は赤を着た記憶がないです。
ショッキングピンクにも関心が薄まっている状態です。
今はむしろ、落ち着いたパステルピンクの服をメインに着ています。
昔のようにこだわりが半減しました。
思い出すと、
20代の時は毎日
赤色のトレーナーを追いかけるために
服屋に行きました。
労力と時間を使ったのです。

こういう経験があったからこそ、
今の諦めない精神が染みついたのだと思います。

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