体験談あり:反骨心を手放せば思考の変化が起きる中学3年生の時に起きた大事件とは? 

こんにちは、たかほしです。
ここ最近は旅行の計画を立てている全盲のたかほしです。
毎日楽しいことを考えて過ごすことは本当に楽しいですよね。

反骨精神で行動することはデメリット。

あなたは学生時代人から褒められましたか?それとも叱られて育ちましたか?
きっと叱られて育った人の方が多いことだと思います。
人は叱られるよりも、褒められて承認される方が嬉しいと思います。むしろ叱られたいと思う人の方が少ないはずです。
叱られることが続くと、人から承認されたいという本能が起きるのは当然なことなのですよね。
なので、「人から笑われて悔しい」、「あいつを見返してやりたい」、「何クソ“絶対にお前ら今に見てろ」などという感情が芽生えることってごく自然なことなのですよね。
このような感情が芽生えるからこそ、何とか人から承認されるように行動をするのですよね。この状態こそが反骨心なのです。
仮に反骨心を持った状態のままで行動すれば、最初は物事がスムーズに進むかもしれません。
しかし、それをしても相手は変わりませんし、あなただけが消耗するだけの結果となります。
なぜならば、反骨心で行動する行為自体が他人軸だからです。
「他人によく思われたい」という考えで行動するからこそ、他人からの承認を期待してしまうのですよね。
他人からの評価を基準にしているから、承認されないとその行動から身を引いてしまうんですよね。
こうなると、どうなると思いますか?あなたが今までやり続けた行動自体が無駄になりますよね?
つまり、今まであなたがやり続けた行動に対する時間と労力までもが失われた状態になるのですよね。
これに気づいた瞬間、きっと失望することでしょう。
これが反骨心を持つデメリットなのです。
なので、他人からの評価を基準に行動をすることは今すぐにやめましょう。

他人に期待するだけ無駄だということに気づくべき。

あなたが反骨心で行動しているということは他人に期待している状態です。正直にいえば、これは不毛なことです。
他人は初戦変わりませんからね。
そもそも相手のバカにしたり、笑ったりする行為はもはや論外です。しかし、これを指摘したところで、相手は「悪い」ということなんて気づいていないんですよね。
それは、常に相手のことをバカにすること自体がになっちゃっているんですから、まともに相手にするだけ無駄ですよ。逆にあなたが被害者になる可能性が十分高いです。
相手を変えることは自分を顧みる以上に相当エネルギーが必要になります。
こんなことに無駄な労力を使うなら、自分磨きをした方がよほど賢い選択肢ですよ。

反骨心を持つことは悪いことではない。

反骨精神で行動することはデメリットとお伝えしましたが、必要なことでもあります。
では、どういう時に必要なのかというと、世間の根強い常識偏見を払拭する時です。
僕は全盲でよく旅行に行ったり、ゲームをするのですが、よく人から「お兄ちゃん偉いね」、「目が見えないからそんなんやめときなよ」、「目が見えないことは大変だね」、「目が悪くて可哀そうだね」と心無いことを言われることが未だにあります。
これらのセリフを言う人に対して失望感しかありません。
僕自身、今の生活ができて十分に満足している状態なので、目が見えないことに対して可哀そうなんて思ったことは1度もありませんし、僕以外の視覚障碍者もきっと同じ考えだと思います。
また、「目が見えないから単独行動ができない」ということや、「ゲームができない」という間違った常識が根付いていることにも違和感があります。

これらの常識を覆すための反骨精神は強い武器となります。
正直に言います。視覚障碍者だって一人旅ゲームをすることができますし、障碍があるというだけで、同じ人間ですから。
人は好きなことはどんなことがあっても必ずやり切ることができる精神力が備わっているのですよね。
ですので、「障害があるから」という考えは正直間違っています。
ただ違うことは「諦めないかどうか」ということだけですし、これは健常者、障碍者共に同じことです。
諦めなければ、「障害なんて関係ない」ということは十分に証明できます。
僕もこれからこれらの常識を覆すために日々行動をしていきたいと思います。
間違っていることは「間違っている」と伝えることは非常に重要なことなのです。

反骨精神が和らぐタイミングがある。

反骨心を持つ人のほとんどが、きっと過去に笑われたり、バカにされて悔しい経験をした人ばかりだと思います。
だからこそ、「見返してやりたい」という気持ちが芽生えることでしょう。これは人間が持つ本能なのでごく自然なことなのですよね。
最初は反骨心を持って行動をしていくかと思いますが、あることに気づきます。
これに気づいた瞬間こそ、反骨心も同時に和らぐタイミングともいえるのです。
それが、行動の目的が自分軸かどうかです。これに気づくと後は人の言動などに振り回されなくなります。
つまり、相手に笑われても、バカにされたとしても動じなくなります。
むしろ相手の心無い言葉受け流せるようにもなるのです。
そして、自分軸で行動をすると、責任感までもが生まれてくるのです。
責任感が生まれると、「自分はどうすべきか」ということを考えられるようになるので、後はそれに向けて行動するのみです。
自分軸で行動をしている時って相手のことを考える余裕なんてないですからね。相手のことを全く気にしないからこそ、相手に嫌われようとどうでもよくなるのです。

人間関係の本質を理解せよ。

アンチをする人や平気で笑われたからといって気にする必要はありません。
人間関係において「2:6:2の法則」というのがあります。
この法則は2割の人からは確実に嫌われて2割の人はあなたを好きになってくれる人が必ずいるという法則です。そして、残りの6割の人はあなたのことを好きでもなく嫌いでもない人です。
つまり、あなたの頑張り私大で、この6割の人からも味方になってもらえるかもしれません。
なお、この法則はほぼ全員該当します。どんな芸人有名人も必ず誰かに嫌われます。
なので、あなただけが全員から好かれたいというのは「不可能」ということに気づきませんか?
たった2割の人から嫌われたからといってどうしたんですか?そんな考えだと、いつまで経っても巣の自分を出すのは難しいでしょう。
そして、今あなたの味方になってくれている人も、やがては離れていきますよ。
なので、全員から好かれることはきっぱりと諦めましょう。
やるべきことは、あなたのことを好きになってくれている人を大切にすることです。そして、ありのままの自分で行動をし続けることです。そうしていくと、あなたのことを好きになる人がどんどんと増えて味方までもが現れていくはずですよ。

実体験あり、中学3年生の大事件から成功に繋がった話。

僕の学生時代の話をしたいと思います。学生時代の僕はかなりの人見知り引っ込み思案な性格でした。その一方で、かなりの目立ちたがり屋だったのです。
目立ちたがり屋だったので、かなりのお調子者だったのです。

僕は学生時代からあまり人から褒められた記憶や認められた経験がほとんどありません。むしろ人から「お前には価値がない」「お前には絶対に無理だから止めておけ」否定され続けました。
僕は中学2年生から8年間盲学校に行きました。そして、盲学校生活ではほとんどの行事に積極的に参加しました。また、生徒会にも所属したり、部活のキャプテンにも積極的になりました。
当時の僕は人に否定され続けたので、積極的に行動をして、「見返してやりたい」という気持ちと、「相手に良く思われたい」という気持ちが勝っていたのです。
そんな中、中学3年生の体育祭の時に大事件が起きたのです。
実はというと、僕は中学3年生の時に体育部長に所属していました。なので、体育祭の閉会式で「成績発表をする」という大きな役割があったのです。
僕はもちろん目立ちたがり屋という性格だったので、体育祭当日に向けて積極的に成績発表の練習をしました。そして、体育祭当日も何度も練習をしました。

「これでバッチリ」とその時を楽しみにしていましたが、「何とぉ~~~!!!???」
いざ本番になった瞬間に頭が真っ白になり、言葉が全く出てこなかったのです。僕はこの状態に対してパニックになってしまいました。
その結果、大舞台である体育祭で結果発表ができなかったのです。しかも体育祭の時には僕の両親が見に来ていたので、猶更恥ずかしかったのです。
僕は人生で生まれて大失敗をしてしまいました。ですので、体育祭が終わってから数時間運動場で大号泣をしてしまいました。
「もう俺の人生が終わった」とさえ感じていました。ですので、家族やみんなに会うのもすごく恥ずかしいという気持ちにもなっていたのです。
そして、大号泣をしている最中に先生や家族が僕のところに来てこのようなことを言ってくれました。それが「こういう失敗があって人は成長していくから、気持ちを切り替えよう」だったのです。
この言葉に励まされて、僕は気持ちを切り返すことができたのです。
それ以降も数多くの失敗をして周囲から怒られ、僕の自己肯定感は下がり続けました。その一方で、心の奥では「何くそ“お前ら今に見とれボケ”絶対に見返してやるからな」と反骨心に燃えていました。
そして、学生時代最後の体育祭の時にも生徒会に所属していたので、ある種目の実況中継をすることになりました。すると、無事に大成功をすることができました。
そして、体育祭が終わった直後に周囲の人から始めて褒められました。

学生時代を振り返れば、あまり人から褒められた経験がなかったので余計に嬉しかったのです。
僕はこの瞬間、「みんなを見返すことができた、お前ら俺の実力を舐めるなよボケ!」と心の奥で叫びました。
こんなことを考えていた自分がいたのです。

学生時代は常に他人によく思われたいという一心で行動をしていたので、一度失敗すると心がボロボロになっていました。
学生時代に学んだことは、このような反骨心があったからこそ、失敗を成功に導くことができたと考えています。
人から怒られたり、笑われて挫けた経験をしたからこそ、全盲になった今もゲームを楽しめているのです。

学生時代から培ってきた反骨心を発揮した場面とは?

僕は社会人になっても常に人から笑われたりバカにされ続けました。
そして、学生時代からも人から比べられていたのですが、社会人になればその度合いが増したのですよね。
僕の本業は接客業をしています。ところが、僕は社会人になりたての時は不器用で理解力が乏しかったので、なかなか指名が増えなくて悩んでいました。

指名が増えるどころか、クレームの連続で、仕事もなかなか回してもらえない状態が長期間続き、僕はついに周囲から攻撃の対象となってしまいました。
そうしていくうちに1年があっという間に経過して、後輩がどんどんと入社してきたのです。そして、僕よりも後に入社した後輩にも指名率売り上げを追い越されてしまいました。この現実を知った瞬間、僕はすごく落ち込みました。
更には不器用な自分呑み込みが早い後輩比べるようになり、劣等感を抱くようにもなったのです。
僕は不器用ながらでも一生懸命に研修をしましたが、なかなか結果が出なかったので、自己嫌悪に陥っていきました。
こんな状況の中であっても、周囲からの攻撃陰口はどんどんとエスカレートしていく一方だったのです。やがては「お前はそんなんだから後輩に負けるんだ」、「お前誰からも相手にされなくなるゾ!」、「あいつは指名が多いのに、それに比べてお前はダメな奴だな」とみんなのいる前で不安を煽られるようにもなったんですよね。
もうこの時点では自己肯定感も下がり、僕の心はボロボロになっていたのですよね。
誰もがきっと不安を煽られると、冷静な判断はできないと思います。
しかしながら、心がボロボロになっても僕は諦めなかったので、社会人2年目のにはクレームもほぼ減り、指名率も徐々に増え始めました。
学生時代から培ってきた反骨心がここで発揮したのです。そして、この時には打たれ強いメンタルまでもが身についていったのです。
不器用は世間では短所と言われがちですが、「諦めない先進」は誰よりも備わっていると僕は思いますし、これを証明できたと思います。

反骨心を手放して起きた変化とは?

僕は当時社会人2年目まではクレームが多くて、指名率も少なかった劣等生でした。
その結果、職場では常に攻撃のターゲットになり、僕は常に浮いていました。

それでも諦めず研修を続けたからこそ、クレームも減り、指名率も増え始めました。研修を続けることができたということは、必ず相手がいるということです。それが先輩方です。
僕がこうして指名が伸びるようになったのは、間違いなく先輩方のご指導のお陰だと感謝しています。
その一方で、正直思うところがたくさんありました。それが職場の人間関係です。
仕事が楽しいと思い始めたからこそ、僕自身本気で覚悟を決めたことがあります。
それが、「この先もこの職場でみんなと楽しく仕事をすることは難しい」という答えに辿り着いたのです。
正直にいうと、僕は先輩方の言動人間性に関しては心から尊敬することはできなかったので、当時働いていた職場をわずか2年で退職しました。
せっかく楽しく仕事をするならば、人間関係も良好がいいですからね。
ところが、僕は環境が変わったとしても、空回りの連続でした
具体的には、お客様のリピート目的は、お客様のためではなくて、自分本位であったこと
お客様のリピート目的は、僕自身のお金稼ぎの目的になっていたこと。
お客様にリピートして欲しいという一心で、距離感を詰めすぎた結果、お客様が離脱
自分を指名して欲しいと直接お客様に話過ぎた。
お客様に次回の来店頻度を提示して、押し売りをしていた
このように、反骨心が裏目に出たことで、同じ失敗を何度も繰り返していました。
ところが、ある日に反骨心を手放す決意をしたのです。
反骨心を手放せるようになるまでには、かなりの時間がかかりました。
反骨心を手放したことで、まず最初に起きた変化は過去への執着を手放すことができるようになりました。
反骨心に燃えていた時は、常に「バカにされて悔しいから見返してやりたい」、「俺はこんな人間じゃない。だから、みんなを見返して俺のすごさを分からせてやる」と常に考えて行動をしていたのです。また、過去に執着していた時は「相手を変えてやりたい」とさえも思っていたので、常に相手をコントロールしていたのですよね。
相手をコントロールしていたからこそ、失敗した時は常に誰かのせいにして、挙句の果てには「俺がこんな人間になったのは、あいつらの責任だ」と文句ばかり言っていました。
過去に執着していた時は他人軸で行動をしていたので、人間関係に疲れて消耗していました。こんな考えを常にしていたので、当たり前ですが、仕事にも力が入らなかったのです。
常に自虐体質だったので、毎日自分自身を苦しめていたのですよね。「このままでは俺の心が壊れる」という恐怖心があったからこそ、必死に今の現状を打破する方法を模索したのです。それが「過去への執着を手放す」という答えだったのです。
過去への執着を手放した瞬間、考え方にも変化が起きました。
それが、「過去は変えられないが、未来は変えられる」ということを考えられるようになりました。
そうすることで、「自分が今できることは何か」ということを考えて行動ができるようにもなり、自分でコントロールできることとできないことも区別できるようにもなっていきました。そして、自分でコントロールが不可能なことはきっぱりと諦められるようになり、自分でコントロールが可能なことは全力でエネルギーを降り注げるようになったのです。

自分にコントロールできることを見つけられるようになったことで、自分本位の考えをやめることができるようになり、お客様を満足させようという考えができるようにもなりました。そして、他人に気を遣うこともかなり減り、無駄なエネルギーを使うこともなくなったのです。
そうすることで、自分の心にも余裕が生まれるようになり、イライラすることがかなり減ったのです。
その結果、仕事にも遣り甲斐を見出せるようになり、今では「毎日仕事が楽しい」と思えるようになりました。
そして、「他人にどう思われているか」ということもあまり考えなくなったことで、相手から承認されたいと考えなくなりました。
「相手にどう思われているか」ということを考えるからこそ、自分が消耗しますし、このように考えている間は永遠と自分軸なんて発揮できないですからね。
「相手がどう思っているか」というのは、こちらではコントロールなんてできないですし、それで相手が僕から離れるなら「それは仕方ない」と思っています。そもそも相手がどう思っているかなんていうのは、相手にしか分からないことなので、どうにもならないことはきっぱりと諦められるようになりました。
なお、「どうにもならない」というのは、答えが分からないことなので、こちらではコントロール不能なことだと僕は思います。
コントロールできないことに時間を費やすなら、「自分軸を磨いた方がよほど魅力的だ」と思えるようになり、僕はそれに時間を費やすことにシフトできるようになったのですよ。
そして、仮に相手から攻撃されたとしても「どうにでもなれ」と思えるようになったのですよね。なので、今の僕は仮になことを言われたとしてもあまりストレスを受けなくなりました。
もちろん、人間なので多少はIRAっとして、引き摺ることはありますが、仮にそうであったとしても長引かなくなりました。むしろ「嫌な人間は嫌な状態のままなんだから俺様が許してやろう。わはははは(笑)」と割り切れるようになり、数分後には忘れちゃってるんですよね。
その代わりに、僕を大切にしてくれている人や、受け入れてくれている人には、全力でエネルギーを降り注いでいこうと思いますし、これからもこのようなことは貫いていこうと考えていますよ。
これを続けていけば、素敵な方に囲まれたり、本心から尊敬できる人とを通わせ合えるようになると僕は思います。
そして、視覚障碍者に対する偏見払拭のための発信もどんどんとしていきたいと思います。
正直まだまだ視覚障碍者に対する偏見を持つ人や、視覚障碍者だからといって夢を諦める人が多いのも事実です。なので、視覚障碍者だからといって諦める必要はないということと、「視覚障碍者はこんなもんじゃない」と発信していきたいと思いますし、間違っていることは間違っていると勇気を出して発信することは大切なことだと思います。
これこそが、反骨心を持つ最大のメリットです。
たった1度の人生を楽しむために、仕事を頑張りながら、息抜きとしてゲームを楽しみたいと思いますよ。

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