(失敗談あり)「注意されないから」といって油断はNG(大事件で学んだこととは)

こんにちは、たかほしです。人間関係は円滑でしょうか?
人間関係を構築すると毎日が楽しい一方で、油断するとつい調子に乗ったりしてしまいますよね。そういう時こそ危ないです。
今回はかなり重要なことをお伝えしていきますので、最後までどうぞお付き合いの程宜しくお願いします。

「注意されないから」といって油断はNG。

人間関係で「注意されないから」といって大丈夫だと思ってはいないでしょうか?
この考えこそが大きな落とし穴だからです。
子供の間というのは、親や学校の先生が注意してくれたと思います。しかし、大人になるにつれて、プライベートの付き合いではわざわざ怒ったり、注意をされることは少なくなることでしょう。もし、あなたのことを注意してくれるとするならば、よほど仲を改善しようとする相手じゃないと注意や叱るということは絶対にしないです。いわば、注意してくれる相手というのは、貴重な存在なのです。あなたは大丈夫ですか?
もし今まであなたに対して注意してくれた人が、次第にあなたに対して距離を置かれるようになったり、あなたが相手に遊びを誘ったとしても断られるようになる回数が増えたのであれば、それはあなた自身顧みるタイミングになります。
これに気づかず我を通し続けると、やがては面倒臭い人認定されて、本当にあなたの基からは誰もいなくなりますよ。こうなればあなたは一生一人ぼっちになることでしょう。
これこそが注意されなくなった時の恐ろしさなのです。

これらの特徴がある人は特に注意せよ。

これから話す特徴に該当する人は特に注意する必要があります。
常に時間にルーズで遅刻癖がある
自己中で他人を平気で振り回す
いつも感情的でイライラを人や物に当たり散らす
相手に対して常に失礼な態度をする
感謝や礼儀が欠けている
自分が悪くても絶対に謝らない
誠実さが欠けている
上から目線の言動が多い
自分が正しいと常に思っている
いつもため口で話し、敬語がない

あなたはいくつ当てはまりましたか?
もし、上記の特徴に該当しているのであれば、この記事を読んだ後、すぐに自分を改めることを強くお勧めします。そうじゃないと、あなたは今後辛い人生が待っているでしょう。

優しい相手こそ、大切にせよ。

いきなりあなたに質問です。「優しい人」というのはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
何を言っても怒らない人ですか?
約束を破ったり、失礼なことを言っても怒らない人でしょうか?
どんな時でも常に笑顔で接してくれる人でしょうか?

もしこのような考えをしているのであれば、かなり注意が必要です。なぜならば、相手が優しいからといって気が緩んで甘えてしまうからです。ところが優しい人は怒っていないのではなくて、怒っていても感情を表に出さないように常にコントロールをしている人です。そして、相手を傷つけないように何も言わずにいい意味でドライになったり、そっと離れていくのです。
これが優しくて穏やかな人の本質なのです。あなたは相手が優しいからといってつい油断をしていませんか?
この本質を知らずに相手を舐めていると、優しくていい人との関係を壊してしまうのは目に見えていますよね。

優しい人を怒らせると怖い本当の理由。

優しい人を怒らせると怖いという話を一度は聞いたことがあると思います。まさにその通りだと思います。因みにあなたは常に怒っている人優しい人を怒らせるとどちらが怖いと思いますか?
常に怒っている人は怒るタイミングやパターンが読める一方で、優しい人はどんな時でも怒らず常に笑顔です。しかしながら、優しい人がもう「我慢の限界」と思った瞬間、あなたとの関係を終わらせようとするのです。つまり、面と向かって注意することもなく離れていくのです。そして、優しい人を怒らせると人間関係の修復は難しいでしょう。
常に相手が笑顔だからといって侮ってはいけないのですよね。
これから優しい人が怒ると怖い理由についてお伝えしていきます。

優しい人が怒らない本当の理由。

相手のありのままを受け入れているから。

優しい人は相手の良いところも悪いところもすべて受け入れています。また、この受け入れているという状態は、相手が優れていようと優れていなくても関係がないということです。ここでポイントになるのは何でも受け入れて許すこととは違うということです。
どういうことかというと、例えば自分の友達が常に意地悪な発言をしていたとしましょう。この時、相手の友人のありのままを受け入れていない人は意地悪な発言をされた時、顔を顰めたり、面と向かって、「ムカつく」と言っています。一方で、相手のありのままを受入れている人は、「意地悪な言動が好きな人なんだな」と受け入れています。
先ほども話した通り、優しい相手も意地悪な言動を許しているということではありません。怒ったり注意をされないからといって、意地悪な言動をし続けていては、やがてはあなたの基から離れていくということなのです。

そもそも相手に期待をしていない。

本当に優しくて穏やかな人は、相手に対して期待を手放しているということです。先ほどの例の通り、自分の友人が常に意地悪発言をしているとします。この時、相手のありのままを受け入れていない人は、顔を顰めたり、面と向かって怒ってしまいます。時には友達の言動に対して「それムカつくからやめてくれ」と強い口調で注意をすることもあるでしょう。人間だから嫌なことを言われたら怒るのは当然ですし、相手に面と向かって指摘をすることは当然ですよね。これは決して悪い選択肢ではないかと思います。とはいっても意地悪な人はよほどのことがない限り意地悪な言動を繰り返します。
ですが、優しい人は相手のありのままを受け入れているので、意地悪な言動をされても、相手に「変わって欲しい」とは期待はしていないのです。でも、自分も意地悪な言動を聞くのが嫌だからその人との関係を静かに終わらせようとします。そして、自分を理解してくれる素敵な友達と仲良くする選択を取るようにもなるのですよね。
「相手に期待していない」といえば冷たく聞こえるかもしれませんが、相手のありのままを尊重している人でもあるのです。

主導権を自分で握っているから。

優しい人が怒らない本当の理由は、主導権を自分で握っているからです。つまり、「この人と仲良くするのは難しい」と思った瞬間、自分から堂々と縁を切ることもできる人でもあります。
多くの人は意地悪なことを言われても我慢をして、無理をしてまでその人と仲良くします。それは相手に嫌われるのが怖いという気持ちがあるからだと僕は考えています。
優しい人は常に寛大な人です。なぜならば、怒っていても表情を出さないように上手くコントロールできるからです。このようなことができるのは心に余裕がないとできません。心に余裕があるからこそ、相手の人間性を見極める能力も高いのです。そして、相手の言動や行動に違和感を感じた瞬間、縁を着る準備もできるほど、心に余裕がある人でもあります。優しい人は心に余裕があるので、自分の直感を信じる能力も同時に高いのです。自分の直感を信じているからこそ、仲良くするのは無理だと思った瞬間、その人と縁を切ることができるということなのです。
堂々としている人と置き換えることもできるのですよね。
このように本当に優しい人は、他人にどう思われているかということを気にしないからこそ、人間関係の取捨選択もできるのですよね。つまり、主導権を自分で握ることができる人なのです。こういう人は「自分と価値観が合わない」と思えば、きっぱりと縁を切ることもできるのです。そして、誰と付き合うか、付き合わない相手を同時に見極めている人でもあるのですよね。

相手に呆れているから。

「注意されるうちが華」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これはまだあなたに対して期待している状態です。もちろん時には受け入れ難い注意もあることでしょう。そして、ここでポイントになることがあります。それが相手が呆れ始めているサインです。
具体的に以下の内容が1つでも該当するならば、相手から呆れられているサインです。
以前よりも注意される回数が減った
相手から話しかけられる回数が減った
プライベートで相手から誘われる回数が以前よりもかなり減った。あるいはあなたが相手を誘っても断られるようになった。職場であれば仕事を任せられることが減ったり、他の人に仕事を任されるようになった。

気づいたら今まで仲良くしてくれていた人と話すことがなくなった

どうでしょうか?
あなたは上記の特徴に該当はしていませんか?
そして、心当たりはないですか?
このサインに気づかないと、今後はあなたは良い人との関係を気づくのはかなり難しいでしょう。気づけばあなたは一人ぼっちになる可能性が高いです。相手から呆れられると「関係を取り戻すことは100%不可能」といっても過言ではないのです。注意してくれる人というのはあなたに対して期待している状態なのですよね。これこそが注意される間が華ということなのです。
とはいっても、あなたの尊厳を踏み躙る発言や、人格を否定するような注意は絶対に聞いてはいけません。

「自分は大丈夫だ」と思うな。

よく「俺は大丈夫だ」と言っている人に限り、大丈夫ではありません。もし本当に大丈夫ならば、「俺は大丈夫だから」ということを口にはしません。そういうことを口にしないということは謙虚さがあります。つまり、「俺は大丈夫だから」と言っている人は謙虚さが欠けている人です。謙虚さがないからこそ、人間関係でトラブルや衝突を起こすのですよね。
「自分は大丈夫だ」と思っているということは、油断をしている状態です。油断をするからこそ、つい相手に甘えたり、失礼な態度や言動をするのです。こういう人を大丈夫だと言えるでしょうか?
本当に自分が大丈夫だと思うのであれば、そのようなことは言わない方がいいですよ。その方が周囲からは魅力的に映るのですよね。
仮に僕が相手からこのような言動を聞いたら、「自分を大きく見せたい人なんだな」と思います。実際にこのような言動をする人の周りの人間関係というのは薄っぺらいということも大体予想ができます。「類は友を呼ぶ」ということわざがある通り、このような言動をしている人の周りは常にマウント合戦をして盛り上がっているのです。そして、いい人に囲まれることは永遠とないのです。これは僕自身の今までの経験から間違いなく断言できます。
そもそもですよ、「自分は大丈夫」というのは何で分かるのでしょうか?
あなたが大丈夫かどうかというのは、相手が判断することです。あなた自身が判断することではありません。本当に自分が大丈夫であれば、良好な人間関係に囲まれているはずです。

他責思考をしている暇があるなら、自分磨きをせよ。

あなたは周囲の人間関係が上手くいかなくなった時、人の責任にしていませんか?
これは絶対にやめましょう。なぜならば、他責思考をしている間というのは良好な人間関係を構築することが絶対に不可能だからです。これは100%言い切れます。
質問ですが、あなたは相手から、「やめて欲しい」とやんわりと指摘された時、その行動をやめましたか?
そして、相手が嫌がっていることを平気で言ったり、気にしていることを弄っ,はいませんでしたか?
相手は最初はやめて欲しいことや、不愉快だということを言葉にしてあなたに指摘したはずですよね。そうなのに、あなたが相手に嫌がるようなことをしていたら、その人はあなたとの関係を終わらせるのは当然なんですよね。これに気づかず、あなたから離れる相手が「一方的に悪い」という考え方は他責思考です。これに早く気づいて下さい。
ここで絶対に覚えておくべきことは、相手が嫌がっていることを平気で言ったり、気にしている内容に触れるのは弄りではありません。苛めです。
弄りというのは、本人が自発的に失敗談や過去の悔しかった体験など、それぞれの題に対して積極的に冗談を言い、相手と自分が笑って流せる状態のことです。つまり、これは相手との信頼関係がないと成り立たないのですよね。繰り返しになりますが、相手が嫌がっているのに、失敗談や養子に対して土足で踏み込むのは苛めです。また、よく日常会話で相手が嫌がっているのに、「冗談も伝わらないの」、「そこ笑うとこやろう」と言っている人がいますが、相手が笑わないということは冗談では済まないのです。これも苛めなのですよね。それなのに、笑わない相手が「悪い」というのは罪悪感をただ植え付けているだけですよ。罪悪感を植え付ける行為こそ他責思考なのです。
他人のせいにしている暇があるならば自分磨きをした方がいいですよ。それはどうやったら相手と良好な関係を気づけるかを勉強をすることです。
厳しいことを言うかもしれませんが、相手が気にしていることを平気で笑ったり、攻撃する人というのはもう1回道徳を学び直した方がいいですよ。これが僕の本音です。

注意されなくても、あなたの行動は見られている。

よくコンビニの脇で、サラリーマンが集団になって飲酒をしながら大声で話して盛り上がっている人がいます。このようなことをいい大人がすることでしょうかね?大人であれば、社会の手本として子供にいい背中を向けるのが役割ですよね。しかも会社の近くのコンビニでこのようなことをするのですから、その会社の人物像やレベルを正直疑います。
プライベートでどう過ごすかというのは本人の自由ですが、迷惑行為はやるべきではないですよ。これっていうのは基本中の基本ですよ。人のプライベートに対して意見を言う権利はないですが、コンビニの脇で迷惑行為をするのであれば、居酒屋などに行って下さい。このようなことは僕以外の人もきっと思っていることだと思います。いい大人になって、このようなことに気づかないというのははっきりといって恥ずかしいですよ。
「第一印象が大事」というように、「迷惑行為」という行動一つで周囲からの印象も大きく変わるということです。人は見てないようで、あなたの行動を観察されていることはしっかりと覚えておきましょう。

実体験あり、学生時代はお調子者だった。

これは僕の学生時代の話です。僕はというと、学生時代はかなりのお調子者でした。自分よりも目上の先輩や、怖い先生に対しては常にペコペコして、自分よりも弱い後輩達に対して常に威張っていました。特に大人しい後輩には横柄な態度をしていました。今になると本当に「最低な人間だったんだな」と反省をしています。
こんな人間だったにも関わらず、後輩達は僕と仲良くしてくれました。というよりも僕が後輩をコントロールしていたので、後輩たちは従わざるを得なかったのだと思います。そして、毎日のようにメールのやり取りをするようになりました。僕はそれに甘えてしまい、自分よりも弱くて大人しい後輩を選び、横柄な態度を常にしていました。やがて僕は学生生活を卒業して社会人になりました。ところが僕が社会人2年目の時に大事件が起きたのです。
実はというと、僕は盲学校を卒業してからも、後輩達とはほぼ毎日のようにメールのやり取りをしていました。後輩達も高校を卒業して忙しかったのだと思います。当時の僕は小さなことですぐにイライラする性格だったので、後輩のメールの返信が少し遅いだけですぐに感情的になっていました。時には暴言に近い内容も送っていました。すると、ある一人の後輩から、「これからたかほしさんとのメールはやめます」と言われてしまったのです僕はこの内容を読んで頭が真っ白になり、正直焦りました。ですので、急いで後輩に謝りのメールを入れました。しかしながら、後輩からメールが返ってくることはなかったのです。それでも僕は何度も後輩にメールをしました。返信がないので次にしたことは後輩に何度も電話をしました。当然ですが、後輩が電話に出ることもなかったのです。そうすると、ついに後輩から着信拒否をされてしまったのです。つまり、後輩に謝ることもできなくなってしまったのです。完全に僕の敗北ですね。
僕はこの瞬間、ショックで立ち直ることができなくなりました。そして、ショックから立ち直るまでにはかなりの時間がかかってしまったのです。ショックを受けている間はずっと事件のことを引き摺ってしまい、仕事にも集中できず、休みの日もずっとそのことを考えていました。
今だからこそいえますが、当時の僕は大人しい後輩をすごく舐めていました。「何も言い返してこない」という甘い考えをしていたので、気づけば言葉遣いも酷くなっていったのです。これが後輩との縁が切れた大きな原因だったのです。当時の僕はこのことにも気づかなかった大バカ者でした。
なので、今の僕から過去の僕に対して、「甘ったれるな!自業自得だ」と本気で叱ってやりたいです。
一度壊れた人間関係を取り戻すのは非常に難しいです。だからこそ日頃から人を大切にする必要があるのです。人によって喜ぶことや、気になるポイントというのは全く違いますが、「人から大切にされたい」という考えを持っているのは、みんな同じです。それは人間が本来持つべき本能なので当然なのです。つまり、人を粗末にしてはいけないということなのです。かつての僕は人を大切にすることなんて一切できていなかったのです。だからこそ、弱い相手に対して横柄な態度をしていたのです。
この事件で学んだことは、大人しい相手だからといって調子に乗っていたら、「いつかは痛い目に遭う」ということを強く痛感しました。日本では、「後輩が先輩を敬うべき」という謎の教えがあるので、後輩から先輩に直接注意することはありません。注意できないからこそ、我慢をせざるを得なくなるのです。
僕は過去にこのような大失敗をしてしまいました。当時はそんな自分が大嫌いで自己嫌悪に陥っていましたが、今になれば失敗した時こそチャンスだと考えられるようになりました。
「失敗は悪いこと」と言われがちですが、僕はそうではないと思います。失敗で学ぶことはたくさんありますし、改善点を見つけることができるので、その度に成長できるのですよね。
僕でいえば、「後輩と縁が切れた」という大失敗があったからこそ、「人を大切にしよう」と自分を顧みるきっかけができたのです。後輩を傷つけたことは決して忘れてはいけない出来事ですが、この失敗がなければ、間違いなく今も人を大切にできていなかったかもしれません。
僕から絶縁した後輩も、最初は我慢をしながらも、僕と仲良くしてくれたのだと思いますが、きっとどこかのタイミングで「縁を切りたい」と思っていたはずです。今ではもう連絡もできないし、和解もできなくなりましたが、もし偶然にその後輩と再会することがあれば、今度は僕から後輩に優しくしたり、応援したいと思います。これが僕の今の思いです。
人は自分の至らなさに気づいた瞬間、成長することができるのです。もちろん最初は自分の至らなさを受け止めることは非常に怖いことかもしれません。しかし、そのを乗り越えた先に変化できる未来が待っているのです。
ということで、僕ももっと人間性を磨いて成長していきたいと思います。

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