こんにちは、たかほしです。人間関係は円滑でしょうか?今回は相手から「可愛そう」と言われて疲弊しているあなたに対して、記事を書かせて頂きたいと思います。
この記事を読むことで、きっと相手からの「可哀そう」という言葉に対して魔に受けなくなると思います。
相手から「可哀そう」と言われても気にする必要はなし
あなたは相手から「可哀そう」と言われて、素直に受け止めてはいませんか?正直いえば、そういう心無い言葉を気にする必要はないのですよね。だって、相手はあなたに対して心配なんて1ミリもしていないのですから。相手から「可哀そう」と言われたら、つい「私のことを心配してくれているんだ」と思ってしまいますよね。だから、相手のその言葉に対して真に受けてしまうのですよね。
実はというと、「可哀そう」という言葉は心配の言葉ではないのですよね。今からそれについて詳しくお伝えしていきますね。
「可哀そう」は心配フレーズではない
いきなり衝撃的なことをお伝えしますね。「可哀そう」という言葉は心配フレーズではありません。もしかすると、中にはショックを受けた人も中にはいるとは思いますが、これは事実です。「可哀そう」という言葉は、表面上はあなたのことを心配しているように思いますが、実はというと、ただあなたがこれ以上成長して欲しくないというメッセージなのです。
あなたが成長すると、自分が置いていき濠になるかもしれないという恐怖心があるからこそ、「可哀そう」と言う言葉を使ってあなたの行動をストップさせようとしているのですよね。でもね、そういう言葉に惑わされる必要ってないのですよ。だって、あなたはその人から気に入られるために過ごしているのではないでしょう?本当にあなたに好意を持つ人というのは、自分らしく振舞っている人なんですからね。そして、これだけははっきりと言えるのですが、「あなたのことを心配している」と言っている人に限って、あなたのことなど1ミリも心配なんてしていないのです。これは100%言い切れますよ。
本当にあなたのことを心配している人はこういう人
あなたのことを本気で心配している人というのは、「心配しているのだから」という言葉を自発的には言いません。そして、本当に心配できる人というのは、あなたが困っている時にしっかりとアドバイスができる人です。つまり、本当に心配できる人というのは、基本的にあなたに対して放置している状態です。いわば、あなたのことを本心から尊重しているからこそ、こういう放置スタンスを貫くことができるのですよね。
「放置」について、前回の記事でも書かせて頂いたのですが、おさらいのためもう一度お伝えしますね。放置といえば、相手を冷たく突き放す意味ではありません。相手を応援しながら、陰で支えるという意味だと僕は考えています。いわば、相手との距離感を大切にするという意味でもあるのですよね。相手を放置できる人というのは、基本的に居心地を大切にできる人なので、人間関係を円滑にすることにも配慮を怠らないのです。そして、相手を放置できる人は、人が望んでもいないことはほとんどしません。こういう人を味方につけるとあなたは最強ですよ。
「可哀そう」という人の心理を全盲の当事者なりに考えてみた
「可哀そう」という言葉の裏には、「あなたのことを思っている」という言葉の心理があると僕は考えています。「あなたのことを思っている」という言葉は、一見優しい言葉かもしれませんが、これが大きな落とし穴なんですよね。そして、心の優しい人というのは、「自分のことを心配してくれているから、この人を失望させないようにしよう」とつい相手の言葉を飲み込んでしまうものなんですよね。実はというと、かつての僕がそうでした。
「あなたのことを思っている」と言われると、つい相手に対して「悪いかもしれない」というように罪悪感を覚えてしまいますよね。その気持ち分かります。この言葉を聞く度に「こち亀」の大原部長を思い出します。大原部長も両津に対して、「お前のことを思って言っているんだ」と言っていたのですよね。なので、僕はこの言葉を聞くと、「また大原部長か」、「大原部長は何人いるんや」と指で数えていましたよ。そして、「世の中大原部長みたいなことを言っているな」と陰でこそこそと笑っていました。因みに僕は「こち亀」で大好きなキャラは両津です。だって頼りがいがあるじゃないですか?子供に対してプラモデルを作ったり、いざという場面では本領発揮するのですからね。だから僕は両津の大ファンですよ。
「可哀そう」という人は不毛な人
「不毛」といえば、すごく残酷に聞こえるかもしれませんね。でも実際にそうなんですから。なぜそう思うのかと言うと、「可哀そう」と言った瞬間、考えることをやめているからなんですよね。基本的に「可哀そう」と言う人は、相手に寄り添うことができない人だと僕は考えています。だってそうじゃないですか?本当に人に寄り添える人というのは、「可哀そう」という言葉を使うと思いますか?使わないですよね?人に寄り添えるからこそ、障碍者当事者の気持ちを考えて話したり、当事者の苦労話を親身になって聞けるのですからね。つまり、障碍者当事者の人に対して興味を持っているとも言い換えることができるのです。
「可哀そう」とすぐに言う人は、相手の過去の背景を知る努力をしないのですよね。だから、すぐに「可哀そう」と言うのですよね。障碍者当事者の僕からはっきりと言わせて頂きたいことは、「可愛そう」という言葉を障碍者の当事者に使うのはご法度ですよ。もし心当たりのある方はぜひ気を付けて下さい。そうじゃないと、障碍者全員を敵に回しますよ。
「可哀そう」と言う人は基本的に楽をしている
先ほど「かわいそう」と言う人は不毛とお伝えしました。不毛ということは考える習慣がない人です。「考えることがない」ということはつまり楽をしている状態です。楽をしているからこそ、平気で可哀そうという言葉を発することができるのですよね。つまり、「可哀そう」と常に言っている間というのは、良好な人間関係を構築することができず、逆に、相手から呆れられてしまい、人がどんどんと離れていくことでしょう。
あなたはこれらの言葉を聞いたことはありませんか?「世の中、楽してお金儲けなんてできない」、「楽していいことなんて起きない」です。まさにその通りだと思うんですよね。「楽」というのは、結果的にできることだと僕は考えています。これは精神論でも根性論でもありません。最初はみんな苦労して、やがて「楽」という権利を手にすることができるのですよね。
お金持ちになりたいのであれば、貯金や資産形成をする必要がありますよね?
東大や京大に行きたいのであれば、勉強をしないといけないですよね?
プロ野球選手になるためには、人並み以上に練習しないといけないですよね?
恋愛の場面でも同じことがいえると思います。パートナーになるにも、まずは相手を好きになるところから始まりますよね?好きになってもらうためには、好かれるための努力が必要になりますよね。人間関係を気づこうと努力しない人に対して、恋人になろうと思う人がいると思いますか?きっといないですよね。恋愛というのは、ここからすべてが始まるのですよね。
これらというのは、最初は苦労から始まり、結果的に楽ができているだけなのですよね。「可哀そう」という言葉を使うのはすごく簡単なことなのですが、人間関係を失うリスクがあるということは覚えておいた方がいいですよ。
「可哀そう」と言う人はできない理由を探す
「可哀そう」という言葉を発する人というのは、基本的にできない理由を探します。「これできるのではないか?」と思うことでも、「できない」と言ってすぐに逃げます。これも楽する習慣が染み付いているからこそ、このようにできない理由を探すのですよね。
できない理由を探してしまう主な原因としては、過去に努力したことが報われなかったり、色々と行動をしてきたが、「成功」という体験がなかったことが挙げられます。過去の行動に対して失望したからこそ、「自分は可哀そう」と決めつけてしまうのですよね。「自分が可哀そう」と思っているからこそ、相手にも「可哀そう」という言葉を発してしまうのです。「自分ができない」という経験をしたからこそ、「相手もできない」と思って、ひたすらできない理由を述べてしまうのです。また、自分が過去に努力して報われなかったことを、人が同じようにして成功されるのが嫌だからこそ、できない理由を探して、相手の行動を抑制してしまうのです。
あなたにできないことが、相手にも「できない」と思っているのですか?逆に相手にできないことが、あなたにだってできるのではないのでしょうか?にも関わらず、相手の行動に対して、できないというのはお門違いではないでしょうか?相手が仮にあなたに対してアドバイスを求めてきたのであれば、こういう時こそ、相手に対してアドバイスをすることが礼儀ではないでしょうか?ましては友達がアドバイスを求めてきたのであれば、あなたなりのアドバイスをすることが常識だと思いますよ。相手があなたにアドバイスを求めてきて、あなたがアドバイスできないのであれば、正直に「私は力になることはできない、ごめん「と言うのが筋だと思います。これは決して悪いことではないのです。むしろ、できない理由をひたすら述べる方が相手を逆に不愉快にさせるのですからね。
コミュニケーションの鉄則は、適度なキャッチボールが大切なのですよね。できない理由を述べるあなたは気持ちいいかもしれませんが、言われた相手は決して気分の良いものではないですし、それはおせっかいとも言い換えることができるのですよね。人が望んでもいないことをする人に限って、良好な人間関係を構築することなんてほぼ皆無です。
できない理由を述べるのではなくて、自分の気持ちを正直に話そう
まず前提として「可哀そう」と言うことをやめる習慣を身に着けることが大切です。その第一歩として、「できない理由」を述べることをやめることです。「可哀そう」という背景には、「あなたは何もできないから無理」とも言い換えることができるのですよね。これを聞いた相手は決して気分の良いものではないのですよね。「できない理由」を述べるということは、相手に対して適度にアドバイスができないということですよね。だったら、正直にその旨をありのままに相手に伝えれば良いのではないでしょうか?とはいっても、分からないことを正直に伝えることって怖いですよね。ではどうしてそのようになってしまったのかというと、それは幼い頃からの学校教育が大きく影響しているからだと僕は考えています。学校の授業で分からないことを正直に伝えたら先生に怒られたり、職場で分からないことを「分からない」と言ったら怒鳴られたり、バカにされて笑われたからこそ
正直に自分の気持ちを伝えることができなくなったのだと僕は考えます。こういった辛い経験をしているあなたに正直に言わせて下さい。分からないことを「分からない」と言うことは決して悪いことではないですし、相手に適度にアドバイスができないことは、自分の勉強不足を認めることも重要です。これは決して恥でも何でもありません。そんなことであなたのことを嫌いになる人や離れる人なんていないのですからね。逆にそれを言ったからといって、相手が怒ったり、笑ったりするのであれば、それは相手の課題です。他人を見下して喜ぶ相手を心の底から尊敬できますか?きっとできないと思います。また、「それを言ったから」といって友達をやめたり、あなたから離れる人というのはその程度の関係だったのです。そんなことで人間関係が壊れるのであれば、さっさとその人との関係は終わらせた方がいいですよ。
「可哀そう」と言うくらいなら、まだ正直に分からないことを素直に伝えた方が、相手だって安心するのですから。仮に力になれなかったとしても他の場面であなたが役に立てば良いのですからね。
自分を過小評価するな
「可哀そう」と言ってしまう背景には自己肯定感の低さが挙げられます。過去に努力したことが報われなかったり、何度も失敗すると、自分のことが嫌いになってしまいますよね。その結果、「自分なんてどうせダメなんだ」、「だって自分は可哀そうなんだから」とどんどんとマイナス思考になってしまいますからね。こうなれば、新しいことに挑戦することも怖くなってしまうことでしょう。
失敗を繰り返してしまうと自己嫌悪に陥る気持ちは分かります。ただですよ、何度も失敗したということは、元々は「行動意欲が高かった」と言い換えることができますよね。失敗しても、行動をしたことって素晴らしいことではないでしょうか?なぜ失敗を繰り返すと過小評価をするのかというと、「失敗は『悪』」と幼い時から教え込まれたからだと僕は考えます。だから、一度失敗すると、「自分はどうせダメなんだ」と自分を過小評価してしまうのですよね。ここで声を大にして伝えたいことは、「失敗は『悪』ではない」ということです。
人は失敗を繰り返して成長していくのです。「成功」の反対は「失敗」ではありません。「諦める」です。つまり、「可哀そう」と言ってしまうのは、失敗を繰り返した結果、諦めるようになったからだと僕は考えます。もう一度言います。失敗は悪いことではないです。これを脳に刻み込めば、きっと失敗への恐怖心も和らぐことでしょう。これに気づけば、自分のことを「可哀そう」と思うこともかなり減るかと思います。
相手に「可哀そう」ということを押し付けるのはNG
あなたは人に対して「可哀そう」と言ってはいませんか?そもそも相手に対して「可哀そう」と言っているということは、あなたは相手を信用していないということですよね。だからこそ、「可哀そう」と相手を決めつける発言をしますよね。「可哀そう」と発することは、相手の行動を抑制していることにも繋がるのですよね。「可哀そう」という言葉の後に続く言葉って考えたことってありますか?それは「可哀そうだから心配してあげる」、「可哀そうだからそんなことできないからやめなよ」などです。これってあなたの主観を相手に押し付けているだけですよね。そんなことを言っているあなたの方が可哀そうですよ。
人は数多くの苦労をしながらも、自助努力をしています。辛い過去があったのかもしれないですし、過去には壮絶な苛めを経験したのかもしれません。そして、過去の失敗に対して後悔しているのかもしれませんが、それでも人それぞれ歯を食いしばりながら、自助努力をしているのですよね。自分だけが「可哀そう」ではないのです。あなた自身がもし、自分で「可哀そう」と思うのであれば、それはそう思ってもいいのですが、それを他人に押し付けるのはお門違いだということです。そんなことを他人に言うことよりも、あなた自身「可哀そう」という悲劇のヒロインをするのはやめましょう。あなたは可哀そうではないのです。
あなたは「可哀そう」と思う必要はない
あなたは自分で自分のことを「可哀そう」と低く見積もってはいませんか?そんなことをしている間というのは、永遠と自己肯定感が低いままですよ。自己肯定感が低い間というのは、ずっと自虐体質のままです。あなたはなぜ自分のことを「可哀そう」と思うのですか?何もできないことが、「可哀そう」と思っているのですか?そして、自分自身で「可哀そう」と言えば、誰かがあなたのことを気にかけてくれるなんて甘い期待をしているのではないでしょうか?「何もできないから『可哀そう』」ではないのです。むしろ、あなた自身で自分を「可哀そう」と思う必要なんてないのですよね。
何もできないことは『無価値』と誰が決めたのですか?何もできないことがカッコ悪いのですか?それにあなただけが辛い経験をしていると思ってはいませんか?先ほどもお伝えした通り、ほとんどの人がそれぞれ過去には苦い経験をしているのですよね。そして、あなた以上に苦い経験をしている人だっているのかもしれませんよね。
あなたの前では笑顔を見せている人でも、陰では辛い経験だってしているのかもしれないのですよ。そういった人がいるのに、自分で自分のことを「可哀そう」というのは、そういう人に対して失礼だと思いませんか?また、そういう人が自分のことを「可哀そう」と思っているのでしょうか?
あなたも過去には壮絶な苦労を経験したのかもしれませんが、そういう過去があったからこそ、「今を生きよう」と必死ではないのでしょうか?おそらく今は自分自身、「可哀そう」と思って、心に余裕がないのかもしれませんが、今を生きていること自体、本当に素晴らしいことなのです。
過去には色々な人からバカにされて笑われたかもしれません。理不尽なことを言う上司や同僚に苦しんでいるのかもしれませんが、それでも頑張って仕事をしているのですよね。
嫌なことを平気で言われても我慢をしてきたのですよね。
このような状況に陥りながらも、頑張っていること自体が「可哀そう」ではないのですよね。なので、大丈夫です。これに気づくことができれば、徐々ではあるかもしれないですが、心に余裕が生まれてくることでしょう。もう一度言います。あなたは決して可哀そうではないのですよ。
他人と比較する必要はない
自分自身で「可哀そう」と言うようになってしまったのは、他人との比較が原因となっています。その結果、競争心が芽生えてしまい、自分よりも勝っている人を見て、敗北感を感じてしまうのですよね。そもそも、他人と比較する必要ってないのですよね。比べる対象は、昨日までの自分と比べることなんですよね。他人は関係ないのです。これを脳に刻み込んで下さい。これに気づくことができれば、時間はかかるかもしれませんが、競争という場から降りることもできると思います。そして、「自分は『可哀そう』ではない」ということにも気づくことができるはずですよ。
本当に「可哀そう」という人はこういう人
世の中、わざと人から注目を浴びようとしている人が実際にいます。こういう人が本当に可哀そうな人です。今の時代はネットやSNSが普及して便利な時代になりました。その結果、自分の意見などを自由に発信できるようになったのです。これは良いことですが、世の中、わざと注目を集めたがろうとする人がいるのも事実です。それが不安を煽る情報や、根も葉もない噂や悪口を言って、再生回数を伸ばそうとする人がいるのですよね。僕はこういう人が本当に可哀そうな人だと本気で思うのですよね。しかも、その発信に対して、平気でコメントをして、更に発信がエスカレートしていくのですから、本当に呆れて言葉が出ないですよ。質が悪いですよね。
しかも、こういう人達は、それが異常だということに全く気づいていないのですからね。そして、こういう人達に限って文句だけは一丁前に言って、行動なんてしないですからね。具体的には暇人なのです。
このような人達に強くお伝えしたいことは、SNSは、あくまでも情報を発信する媒体であり、悪口や噂を流して再生回数を伸ばす媒体ではないということです。そういうことをしている時間があるならば、自分の心と向き合うことではないでしょうか?また、YouTubeで「低評価」をつけている人も基本暇な人だと僕は考えています。
結局こういう人って何がしたいのですかね?僕には理解できませんよ。「低評価」をつけて、発信者に対して、「その発信は面白くない」とアピールしているつもりですかね?それとも、「自分が偉い」とでも言いたいのでしょうかね?そういうことをする心理が僕には理解できませんけどね。それをして発信者が「発信をやめる」とでも思っているのでしょうかね?やめたらどうなんですか?発信者が配信をやめる姿を見て面白がっているとは思いますが、そういうことはやめた方がいいですよ。必死に発信している人がいるのですから、そういう人に対して非常に失礼ですからね。仮に僕のYouTubeでそういうことをされても、全く気にならないですし、わざわざ低評価を気にしないですからね。何か言いたいことがあるならば、具体的に改善方法を提示することが礼儀だと僕は考えています。
あなたは承認されなくても大丈夫
あなたは人から認められたいという気持ちが強くないでしょうか?それは人間の本能なので、ごく自然のことなんですよね。こういう気持ちは大切なので問題はないのですが、あまりにも「承認されたい」という気持ちが強すぎると、自分を卑下してしまいます。
そもそも、あなたは何のために生きているのでしょうか?他人から承認されたいからでしょうか?結果として、人があなたを認めてくれるのであれば、それは嬉しいことだと思いますし、それがあるからこそ、あなたは「頑張ろう」という気持ちが芽生えるのですよね。他人から承認されることをベースに行動すると、本来の自分なんて発揮されないですからね。それは自分軸ではなくて、他人軸だからなのです。他人から認められないと、「どうせ自分なんてダメなんだ」、「だから自分は可哀そうな奴なんだ」と思ってしまいますからね。だからこそ、他人軸をやめる必要があるのです。自分軸で行動をしていけば、「可哀そう」と言うことがかなり減るかと思います。
あなたはあなたらしくて何の問題はない
あなたは自然体で過ごすことができていますでしょうか?これ大事ですよ。そうすることで、あなたのことを自然と応援してくれる人が現れてくることでしょう。とはいっても、残念なことがあるのも事実です。
それは、あなたがいくら自然体で過ごしていたとしても、必ずあなたのことを嫉妬してきたり、攻撃する人は現れるということなのです。これを読んでもしかすると、「えぇ~~!お前さっき『自然体で過ごせ』と言ったやんけ!」、「それって嘘なんかよ」、「だったら、自然体でいるのはできない」と思うかもしれませんよね。そう思うのはごく自然なことです。では、自然体を貫くことをやめればどうなるのかというと、あなたは本当に大切な人を失うリスクがあるのです。それは自然体で生きることをやめるということは本来の自分を捨てるということなのですよね。そういう人に人が集まると思いますか?集まらないですよね。あなたはどっちがいいですか?
大丈夫です。あなたのことを嫉妬する人がいても必ず応援してくれる人が現れます。あなたのことを嫉妬したり、攻撃をする人というのは、嫉妬する側の課題なのです。嫉妬したり、攻撃をする人というのは、そもそも自己肯定感が低い人なのですよね。これはその人が向き合うべき問題なので、あなたは介入する必要は全くないですよ。こういう人達に動じなくなれば、やがてはあなたのことを応援してくれる人が必ず現れるということなのです。そうしていくことで、あなたも自然と人を応援できるようになりますからね。これが自然体で過ごすメリットなのです。
過去に自分ができたことを洗い出そう
あなたは過去に何か達成したことや、成し遂げたことはないでしょうか?これを見つめ直すことって非常に重要なんですよね。過去に達成したことはちっぽけなことも中にはあるかもしれませんが、おそらくその道中には挫折も時には経験したかもしれませんよね。それを見つめ直さずに、自分のことを「可哀そう」と言うのは少し違うかなと思いますよ。
過去に達成したことや、成し遂げたこと、過去から現在進行形に至って頑張っていることなど、何でも大丈夫なんですよね。
例えば小学校の時からコツコツと貯金を頑張った
勉強は大嫌いだったが、いい大学に進むことができた
周囲から笑われながらも、頑張って自分のやりたいことができるようになった
節税をするためにふるさと納税やiDeCoを頑張っている
将来お金に困らないように旧NISAから資産形成を頑張り、新NISAも継続している
小額投資から資産形成を続けている
どうでしょうか?あなたは上記の特徴に該当するものはありましたか?もちろん上記の特徴でなくても問題はございません。
ところで、上記に特徴を挙げたのですが、共通点に気づきませんでしたか?それはズバリ継続力なんですよね。
貯金をコツコツすることって並大抵なことではないですし、時には無駄遣いをして、貯金をやめたこともあったのかもしれません。勉強嫌いでありながらも、大学に行きたかったということは、それだけ理由や目的があったからですよね。節税にしても、今の現状を打破したいと思ったからこそ、勉強した訳ですよね。投資や資産形成を継続することなんて並大抵のことではないのですよね。大体は途中で投資をやめる人や、「投資なんてギャンブルだ」、「今の日本はクソ」などと文句を言って行動をしない人が多いのですよね。ここまで継続できているということは、行動力があるのですよね。行動力があることだけでも、可哀そうな人ではないのですよね。継続力があること自体素晴らしいことですし、そういう自分を誇りに持って下さい。そして、これらの継続力を貫いて下さい。文句だけ言って行動をしない人と将来大きく差が生まれることでしょう。継続していくことで、間違いなく心にも変化が起きるはずです。そうすると、人間関係の「取捨選択」という主導権をあなたから握れるようになりますからね。
実体験あり、将来考えていること
他の記事でも何度かお伝えしたと思いますが、何度も言わせて下さい(笑)。僕は幼い頃から「目が見えなくて可哀そうだね」と言われ続けました。幼かった当時は、「『可哀そう』と言ってもらえて嬉しい」とさえも思っていたのですよね。幼い時は、「可哀そう」という意味を「心配してくれている」と思っていましたからね。心配してもらえているということは、自分のことを「気にかけてくれている人がいて嬉しい」と思っていたのですよね。でも、大人になり、本当の「可哀そう」という意味を知ってしまい、正直失望したことを今でも覚えています。なぜならば、僕は自分のことを可哀そうだなんて思ったことが一度もなかったからなんですよね。むしろ、今まで周囲の人から「無理だ」と言われてきたことも成し遂げてきたこともあったので、自分に誇りを持っていたからなんですよね。こういう自負があるので、人から「可哀そう」と言われると「自分を信用されていない」と思い、常に腹を立てていたのですよね。そして、僕はこの現状を打破するために「視覚障碍者だって行動ができる」ということを証明するために、行動をする決意をしました。僕がブログを発信するきっかけとなったのは、「可哀そう」と言う人を一人でも減らしたいという気持ちがあったからです。とはいっても、過去には2度もブログで挫折をしましたし、「動画配信もやるゾ」と思いながらも、結局行動に踏み切るまでに5年もかかりましたからね。
こういう挫折もありながらも、動画配信とブログ配信を同時に始めることができるようになったのは、3年前からだったのです。このように、かなり回り道をしましたが、今では「諦めずに良かったな」と本気で思っています。3年間、これらを継続し続けて、更に頑張る意欲が加速しはじめたのです。それが副業に挑戦して、「収入減を得たい」と思うようになったのです。もちろん、この目標を到達するのは決して簡単な道のりではないことは十分と覚悟はできています。
実はというと、ブログを書くことも、動画配信をしていること自体、既に収入減を上げるための準備ができているということなのです。自分で言うのも変かもしれませんが、もうこれでも副業の入り口に入ったといっても過言ではないのですよね。
時間はかかるかもしれないですが、副収入を得ることができれば、収入も上がるじゃないですか?収入が上がると、心にもゆとりが生まれますからね。具体的には人間関係の「取捨選択」という主導権をこちらから握れるようになるということです。その結果、苦手な相手や、関わりたくない相手と無理に付き合う必要性も減りますし、こちらから嫌なことや、やりたくないことも自発的に「No」と言えることが増えると思いますよ。僕は将来これを目指しているのです。そして、僕がこの人と本心から仲良くしたいと思う人と仲間になりたいとも考えているのです。今でもまだ主導権を相手に委ねているところが多々あるので、少しずつ自発的に主導権を握れるような人間にもなりたいと思っています。こういう理想って僕以外にも、ほとんどの人がきっと該当するかと思います。だからこそ、収入減を得ることができるように、動画配信やブログ配信も頑張りたいと思っていますよ。理想を持つことは非常に重要だと思っています。
将来こういう理想が叶うと、「毎日キラキラしているかも」と思えば、今からワクワクですよ。ということで、引き続き動画配信とブログ発信を続けていきます。
コメント
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