人を大切にする方法 どん底時代を自力で跳ね返した方法とは”

こんにちは、全盲のたかほしです。
いつもブログにご訪問下さりありがとうございます。
さて、人間関係が円滑にいくのならば、どういう相手となら交流を深めたいですか?
それは素敵な相手を探すことが理想だと思います。
確かにそうかもしれませんが、「素敵な相手」というのは、どんな人なのでしょう?
「お金持ち?」、「外見がいい?」、「優しい人?」など人によって「素敵」という基準は違うと思います。
上記の特徴ももちろん正解ですが、人を大切にできてこその結果論だと考えています。
私個人的には、心の底から人を大切にできる人が素敵だと考えています。
ということで、今回は人を大切にできる人の特徴についてお伝えしていきますね。

人を大切にできる人の特徴。

自分を大切にすること。

人を大切にできる人は、自分を大切にできる人です。
人間関係の構築は、まずここから始まります。
なぜならば、自分を愛せるのは、自分自身であるあなただけです。

人間関係の構築が上手な人は、これを常に大事にしています。
前提として覚えておく必要があることは、あなた以外は全員他人です。
これは例え家族であっても同じことです。
困ったことがあった時は、あなたの相談には親身になって聞いてくれたり、あなたの話は聞くでしょう。
その一方で、同じ家庭内で生活しているとはいえ、他人なのです。

自分を好きになる。

人を大切にするためには、まずは自分自身であるあなたを好きになることです。
親や学校の先生からは、「人をまず第一に」と学んだと思います。

これも確かに素晴らしい考え方ですが、そもそもこれは自分を大切にした後の話です。
自分を大切にしていないのに、いきなり相手を大切にすることなんてできません。
これは100%言い切れます。
これは、「自分勝手」とは違います。
人を大切にする順番は、以下の通りです。
自分自身→家族、恋人、親戚→友達関係→職場の人間関係。
このような順番です。

まずは自分を大切にすることが最優先です。
例えば、自分のやりたいことがあれば、先にそれを優先にする。
仕事があるならば、仕事をしっかりとやりきる。
ブログを副業としているならば、ブログを毎日書く。
「動画配信をする」という目標があるならば、時間を見つけて、動画編集に励む。
「休みの日に『ここ』に行く」と決めているならば、思い切って行くことです。
これらの目的を果たすために、少しでもいいのでやることです。
もし、ここで時間が余り、余裕があって初めて人を大切にすることができるのです。

仮に上記のように、自分を疎かにして他人を優先すると自己犠牲になります。
その結果、後悔が残り、やがては、「私「俺」はここまでしているのに」という腹黒い感情が湧いてきます。
こうなると、相手にも腹黒い感情が伝わるようになります。
そうならないためにも、まずは自分を大切にすることから始めて下さい。

自分を褒める。

自分を褒めることも大切です。
なぜならば、自分を認めることができるのは、自分だけだからです。
自分の行動を一番理解しているのは誰ですか?
自分の言動を聞いているのは誰でしょうか?
それは、自分自身であるあなた自身です。

ですので、その行動や言動に対してしっかりと褒めてあげることが大切です。
今日の自分自身を振り返り、少しでも行動ができた時や、昨日の自分よりも成長した瞬間に「今日の俺「私」よくやった」と自分で自分を褒めることです。
自分で自分を褒めることができれば、仮に相手から嫌なことを言われたとしてもスルーできるようになります。

相手の心無い発言を真に受けてしまうのは、自分で自分を褒められていないことが原因になっています。
自分で自分を褒められないと、自分を卑下したり、少しのことでが折れてしまいます。

やがては、自己肯定感も下がります。
その結果、相手に認めてほしいという強い気持ちが態度として出ます。
これが執着なのです。
相手に見止められないと、自分を満たせないのは相手に依存している状態です。
自分で自分を褒められるようになれば、相手の心無い言動も全く気にならなくなります。

むしろ、相手の心無い発言があったとしても、「どうした、俺には関係ない」とスルー出来るようになります。
そして、相手と自分の境界線をしっかりと分けられるようにもなります。
まずは、自分を褒めることから始めてみましょう。
どんな小さなことでも大丈夫です。
具体的には以下の通りです。
今までは毎日だらだらとテレビを見ていた状態が、今日は5分でも勉強ができた。
ゲームで負けてた状態が、勝利できるようになった。
野球でストレートしか投げることができなかった状態から、スライダーを武器にできた。
今までは筋トレができなかった状態が、10分でもできるようになった。
「嫌な人間関係を切ろう」と思っていたが、実際に行動に踏み切り、嫌な人間関係を断ち切った。

どうでしょうか?
小さな成果かもしれませんが、これも昨日の自分よりも成長できた状態です。
このように、昨日の自分は何もできなかった状態から、1歩成長した状態です。
このような自分自身の成果に対して褒める習慣を身に着けることです。

そうしていくことで、自己肯定感も次第へと上がり、自分のことが大好きになっていくはずです。

自分を大切にしている人と、そうでない人の違いとは?

自分を大切にする方法としては、自分のことを好きになることです。
「何を当たり前のことを言っているんや!!!」と思うかもしれませんが、これできていない人が多いです。
厳しい言い方かもしれませんが、これは事実です。
例えば、仮に相手から「お前は頭悪いな!」、「お前バカだな!」と言われた時、あなたはどう思いますか?
きっと腹が立ったと思います。
もちろん人間だから、プライドを傷つけられることを言われたら腹が立つのは当然です。
その気持ちを押し殺すと、あなた自身が壊れるので、その感情は持つべきです。

そして、ここからが大切なのですが、感情が出た直後の対応で「自分を大切にできているか」というのが明確になります。
自分を大切にできていない人は、心無い発言をされたら、その言葉を永遠と真に受けてしまいます。
そして、酷い場合は、心無い発言をした相手に対して、論破したり、言い任せるまで議論をし続けます。
そして、最悪な場合は、相手を恨んだり、復讐することを考えるようにもなります。

その一方で、自分を大切にできている人は、心無いことを言われたら腹を立てますが、その後の対応が変わります。
それは、嫌な感情を長引かせないことです。
自分を大切にできる人は、嫌なことを言われて腹は立てますが、時間を決めて、嫌なことを言われたことを忘れようとします。
それは、「相手を変えることは不可能」ということを知っているからです。
いい人もいる一方で、中には平気で人のプライドを傷つける人は一定数いることも知っているからです。

だからこそ、感情が治まった瞬間に、俯瞰して物事を考えることもできるのです。
こちらが何も危害を加えていないのに、心無いことを言うのはそもそも相手の人間性に問題があるので、そういう人は放置しましょう。

自分を大切にできると、心にも余裕が生まれる。

自分を大切にできると、変化が次第へと現れます。
それが、心に余裕が生まれることです。
きっと、自分を大切にできていなかったときは、相手の些細な言動でさえもイライラしていたはずです。
それは、自分を卑下する癖が染みついていたからです。
こんな状態が長く続くと、もちろん自己肯定感が下がるのは当然です。
こんな中で相手を褒めたとしても、相手のには響かないですよ。
むしろ、相手からは「この人『綺麗事』を言っているな!」ということは見抜かれます。
相手はあなたが無理して褒めていることなどはお見通しなのです。
ところが、自分を大切にできるようになるとどうでしょうか?
もちろん、自己肯定感も上がるので、「自分にできることは何か」ということも考えられるようにもなります。
その結果、新しいことにも挑戦をしたり、人が喜ぶことも積極的にできるようにもなります。
自分を大切にできていない時は、これらの行動をする余裕なんてないです。
「自分にできることは何か!」ということを考えたとしても、自己肯定感が低く、マイナスな感情も入っているので、このような行動が中途半端で終わることでしょう。
そして、心に余裕がない状態では、「相手が喜ぶことは何か」という考えにもなりません。
「相手に良く思われたい」という見返りの気持ちが必ず入ります。
その結果、相手からも「恩着せがましい人」と思われて、人がどんどん離れていきます。
ところが、自分に余裕がある状態になると、見返りの気持ちや、飽き性が出たとしても修正することができます。
これこそが、心に余裕がある状態なのです。
心に余裕が生まれると、次の段階として、人にも優しくできます。

心に余裕が生まれると、これらの変化が起きる。

相手を思いやることができる。

自分を大切にできるようになれば、自然と人に対して思いやれるようにもなります。
相手視線で物事を考えられるようになります。
例えば、視覚障害者の人を手引きしようとするじゃないですか?
ちゃんと、視覚障害者の人が安全に歩けるように、きっちりと案内できるスキルや、階段が近づくと、「階段もうすぐで始まりますよ。」と何気ない場面で声をかけることもできるようになるでしょう。
そして、自分の時間も大切にしながら、時には相手を優先することもできるので、「一緒にいて楽しい人だ」と相手から思われるようにもなります。

飾り気がなく、自然体に人と接することができる

嘘をつかず正直なところがあります。
悪い意味でとらえるような「馬鹿正直」というものではありません。

中には自分をいいように演じて、心無いことを言う人がいます。
人を大切だと思えるからこそ、自分の長所短所に嘘をつかず、人と接することができます。

正すべきところは叱ることができる。

人間だれしも欠点を指摘することで、「嫌われたらどうしよう」ということに苦手意識が芽生えると思います。
しかし、人を大切だと思っているからこそ、関係を深めていきたい相手であれば、指摘すべきところはしっかりとするのです。
ただし、人を大切にしているとは言いつつも、叱る相手はしっかりと見極めているのも事実です。
人間性に問題がある人には何も注意しません。
人を大切にする人が一番嫌う相手は、人を粗末にする人です。
それは、「相手と環境を変えるのは不可能だから」ということを誰よりも理解しているからです。
遠くからそっと見守ることができるのです。

意見を尊重し合うことができる。

相手に合わせるだけではなく、自分の意見も聞いてほしいことがあると思います。
でも、そんな時でも人を大切にできる人は、上手に意見を伝えることができます。
押し付けにも聞こえず、相手から「折り合いをつけよう」と思われるような言い回しが絶妙なんですね。

ポジティブに考えることができる。

人を大切にできるからこそ、一緒にいて楽しいと思えるのではないでしょうか?
ネガティブな発言は、疲れた時以外はほとんどないと言ってもいいかもしれませんね。
人の考えや理想を親身に受け止めて、応援してくれることでしょう。

場を和ませることができる。

人を大切にすることができるスキルだからこそ、場を大切にすることにも神経を働かせているのですね。
「この時はどう盛り上げようか」というように、場の空気を悪くしないように工夫している姿は素晴らしいものです。

失敗した時は受け止めて謝ることができる。

「失敗は仕方ない」といって、その場を丸く収める人も中にはいます。
失敗事やネガティブなことは、誰も認めることは怖いですよね?

しかし、失敗は誰にでも起こります。
その失敗を放置したことで人間関係に罅が入ることがあります。

しかし、人を大切にすることができる人は、「失敗も起こる」ということは理解しているのです。
だからこそ、失敗を受け止めて謝罪できる人間性が備わっているのです。

ギブ精神になることができる。

人を大切にする人はテイクは求めません。
基本的には相手視線なので、ギブ精神がちゃんとできているのです。
「テイクを求めることは、『人間関係の損失』」ということは理解しているので、ギブを大切にしているのです。

距離感を保てるようになる。

人は誰もが近づきすぎるのを嫌がる傾向があります。
楽しみたい時は一緒に楽しみゆっくりしたい時はそっとする。
こういう距離感を汲み取るのが上手なのです。

人と時間を共有できたことを感謝できるようになる。

人を大切にする人は、人と違うことができる人間性があると思います。
一緒に遊んだ相手と食事をしたこと、一緒に時間を共にできたことを「感謝」のことばが瞬時に出せる人間力もあります。
また、人を大切にできるからこそ、時間をすることができるのです。
「一緒に過ごすことは当たり前」という考えではなくて、「一緒に過ごせて楽しかった」という考え方ができるのです。
「一緒に過ごせて楽しかった」と思えるからこそ、礼儀も大事にしているのです。
そもそも、「私と過ごすのは当然」と思っている人は、このような感謝の言葉は伝えません。

こういう人は大切にする必要はない。

人を大切にする人は全員を大切にしていません。
しっかりと関わる相手を見極めています。
「人を大切にする相手も結局は『損得勘定』で人を選んでいる」と思ったのかもしれませんが、そうではありません。
どういう人を大切にするのかというと、それは自分を心から大切にしたいと思う相手には全力で人を大切にしますが、人を粗末にする人や人間性に問題がある人には無関心で接します。
「『損得勘定』で人を選んでいる」と思ったでしょうが、これは正常な考え方です。
親や学校で、このようなことを言われたことはありませんか?
「みんなにやさしくしましょう」、「みんなと仲良くしなさい」、「喧嘩はダメ」、「どんな人でもちゃんと話をしないとダメ」と言われたのではないでしょうか?

これも素晴らしい教育法だと僕は思います。

しかし、これらのようなことができるためには、まずは自分を大切にできた段階の話です。
自分を大切にできていないのに、人を大切にすると自己犠牲です。
こんな状態で人を大切にすると必ず相手から都合のいいように扱われます。
世の中には必ずといっていいほど、悪い人間がいます。
犯罪を犯す人や人間性に問題がある人が一定数います。
極端な例かもしれませんが、これは事実です。
僕も過去には、こういう人達に苦しみました。
「人を大切にすると必ず親切が返ってくる」という話を聞いたことがあるかもしれませんが、そもそも人間性に問題がある人にはこのようなことは通用しません。

逆にあなたがこういう人を大切にしても、平気で搾取され続けます。
大切にする相手は、しっかりと見極める必要があります。

これらの特徴がある人がいたら縁を切ろう!

あなたの身近にこういう人はいませんか?
以下の特徴がある人が身近にいたら注意しましょう。
マウントをとる。
仲良しを強要する。
モラルが欠如している。
正義感を振りかざす。
被害者意識が強い。
人の不幸を願う。
他力本願な人。
人の粗探しを平気でする。
田堰思考。
他人の祝福に鈍感だが、嫉妬する。
人と比較する。
会うたびに愚痴や不平不満を言う。
綺麗事を平気で言う。
すぐキレたり、暴力をふるう。
「可哀そう」アピールをする人。
これらの特徴を持つ人が周囲にはいませんか?

もし今、これらの特徴を持っている人に悩んでいるならば、この記事を読んだら、すぐに縁を切りましょう。

今何か新しいことに挑戦しているならば、あなたの夢を邪魔されるかもしれません。
これらの特徴を持った相手が例え職場の同僚や友達、親戚、恋人であっても縁を切っても大丈夫です。
とは言いつつも、家族関係だとすぐに縁を切るのは難しいと思います。
そういう場合は、人間性に問題がある人の心理を知ることが先決かもしれません。
人間性に問題がある人は、一言でいえば、可愛そうな人なのです。
なぜ可哀そうな人になったのでしょうか?
それは劣等感の塊だからです。
人間性に問題がある人は残念な人なのです。
愛情不足のまま育ったり、可哀そうな人自身の環境の影響や、運悪く成長する機会を逃したり、チャンスの場面を逃し続けた。
あるいは「成長しよう」という気持ちがなかった可能性があります。
その結果、可哀そうな人になってしまったのです。
優しい人はきっと人間性に問題がある人に苦しめられたと思います。
そして、嫌な気持ちになって、イライラしたり、ムカついたはずです。
僕も苦しめられたので、あなたの気持ちが分かります。

でも、今日からは大丈夫です。
人間性に問題がある人は可哀そうな人なので、こういう人と張り合う必要はないのです。
むしろ、あなたの方が懐が広くなることでしょう。
とは言いつつも、毎日過ごす相手ならば可哀そうと思っていながらでも、嫌なことをされ続けるとストレスが起きるはずです。
ですので、ストレスが溜まり始めた瞬間に、このように言ってみてはいかがでしょうか?
それが、「こういう人は可哀そうな人だから、こんなことされても許してあげればいいやん」、「可哀そうな人は、可哀そうなままだから、誠実な俺が『イラっ』とするなんて大人げない」と心の中でつぶやくのです。
そうすると、可哀そうな人をスルーできるようになるでしょう。
こういう人に心を揺らされるのは時間の無駄ですよ。
可哀そうな人は自分が気づかない限り、一生可哀そうな人のままです。
自分以外は他人なのです。
嫌な人が身近にいるのであれば、自分の意志で距離を開けたり、会わない選択を選ぶ必要があります。

もし、あなたが人間性に問題がある特徴に当てはまったのであれば、今すぐ改心しましょう。
そして、今後同じようなことを繰り返さないようにしましょう。

かつては他力本願だった。その原因とは?

今、人を大切にできている人も、最初から人を大切にできたわけではないと思います。
数多くの苦労経験があったからこそ、人を大切にするスキルを学んだと思います。
その多くは大震災や大災害などの被害を経験したこと。
虐めを受けて苦しい経験をした。
障碍者の当事者が同じ障碍者を理解する姿勢。
身体障碍者の人達への接し方を積極的に学んだ結果、人を大切にすることの重要性にも気づいたはずです。

痛みのある人を理解することで、人を大切にしようという考えが身に付いたと思います。
ですので、人を大切にできるまでの道のりは大変なものだったと思います。
人を大切にできるようになれば、人生で得する性格であることは間違いないです。
かつての僕は自分さえ良ければいいという自己中な考えをしていました。
自分は人を大切にしないのに、「人から大切にされたい」という願望だけは抱いていました。
本当に最低な人間でしたよ。
僕は全盲なので、普段は白杖を使用して外出をしています。
自己中だった当時は、こんなことを考えていました。
白杖を使っている俺を助けるのが当然。
電車の乗車中には、「見えていない俺に席を譲るのが当然」、席を譲ってもらえなかったときは常に電車の中でイライラしていた。
クリニックのスタッフが診察室に案内をしなかった時は常に怒鳴っていた。
こんな最低な人間だったのです。

今になると、視覚障碍者の印象を下げるような行動や言動をしていました。
一生懸命に行動している視覚障碍者の皆さん、本当に申し訳ございません。
このように、僕自身もかなり恥ずかしい経験をしました。
かつての僕が自己中になっていたのは過保護が原因です。
何か問題が起きたときは、家族や学校の先生が尻拭いをしてくれました。
なので、「俺が困ったら誰かが助けてくれる」と本気で思っていました。
そして、こういう思考を30歳を超えてもしていました。
なので、僕が困ったときに誰も助けてくれなかった時はイライラしていたのです。
これじゃ成長なんてするはずがないですよね。
やがて僕に残ったのは、負の感情気まずさしかなかったのです。
そして、「このままの俺ではいけない」と本気で反省をして、態度を改めました。
どのようにして反省したのかというと、過保護卒業することを決意しました。
そして、自分の問題は自分で解決する。
自分で努力して、それでも問題が解決しない場合は、周囲の助けを借りる。
声をかけてもらったり、席を譲ってもらうことが「当たり前」ではなくて、感謝する。
できないことは「できない」と正直に伝えて、丁寧にお願いをする。
このように自分を変えていきました。

そうしていくと、自然と感謝の言葉が言えるようになったのです。
そして、ここから人を大切にすることも同時に学んだのです。

かつては、負の感情まみれだった。

僕は弱視時代にはゲームをよくしました。
しかし、全盲になってゲームとは無縁になりました。
ゲームができない代わりに一人旅をしたり、一人カラオケに行きました。
時にはカラオケバーにも行って、大勢のお客さんの前で歌を歌いました。
ほとんどのカラオケバーは自分の歌いたい曲をタッチパネル操作でした。
もちろん僕は全盲なので、タッチパネル操作はできませんでした。
ですので、ママの方から積極的に入力してくれたのです。

カラオケで歌を歌うだけではなくて、カラオケバーに来ているお客さんやママと楽しい会話をして有意義な時間を過ごす量になりました。
ゲームの代わりに趣味を見つけたのです。
その結果、コロナ前は毎週のようにカラオケバーに行っていました。

1か所だけではなくて、1日で複数のカラオケバーに行きました。
そうしていくと、色々な人とコミュニケーションをするようにもなりました。
いい人もいる一方で、心無いことを言う人も中にはいたのです。
僕が一番言われてショックだった言葉があります。
それが、「目が見えなくて可哀そうだね」、「ここは視覚障碍者が来る所じゃないよ」、「目が見えないから、帰りが遅くなったら両親や家族が心配するんじゃないの」などを言われたのです。
はっきりと言います。
これらの言葉は、「視覚障碍者全員を敵に回す発言」ということは覚えておいて下さい。
仮に今、このようなことを言われたら秒速でを切りますよ。
当時の僕はかなりが狭かったので、このようなセリフを言われた瞬間、「こんな酷いことを言うな」と思ったのです。
そして、「赤の他人であるあなたに心配される必要なんてない」、「俺が楽しくて来てるんだから、放っておいてくれ」と怒りが沸き上がったのです。
更に「注意して分からせてやりたい」、「俺だって行動ができるんだ」と見返してやりたい気持ちが強かったのです。
このような負の感情しかなかったので、当たり前ですがカラオケを楽しむ気分にはなりませんでした。
やがては、カラオケバーに行くことをやめました。
もちろん、カラオケバーに行かなくなったことで、趣味事態がなくなったので、もやもや感寂しい気持ちが起きました。
なので、時には、「カラオケバーに行きたいが、人間関係で苦しむのは嫌だ」という相反した気持ちが起きていたのです。
考えては「行かない」という結論ばかりを導いていたのです。
かつての僕は負の感情まみれだったので、考えることをして時間の無駄遣いをしていました。

他人に期待することをやめることができた。

カラオケバーに行くことをやめると、考え方心に変化が起き始めました。
それが人間関係について勉強をするようになったことです。
そして、僕が負の感情まみれになっていた原因に気づくことができたのです。
それが、相手に期待していたことです。
その結果、「視覚障碍者である俺を理解してほしい」、「障碍者である俺の気持ちを分かってほしい」ということを相手に要求していました。
そして、「いつかは俺のことを大切にしてくれる」という期待をしていました。
ところが、日々人間関係について勉強を重ねていくことで、相手に期待することもやめることができたのです。
そうしていくと、負の感情がどんどんと和らいでいきました。
僕はカラオケバー「目が見えなくて可哀そう」や、「ここは視覚障碍者が来る場所じゃないよ」、「目が見えないから、夜が遅くなると家族が心配するよ」などと心無い言葉を受けました。
冷静に考えると、これらの心無い発言をするのは相手の問題です。
視覚障碍者の当事者であるあなたは決して悪くないので、もしこのような言葉を聞いたとしてもスルーしましょう。
こういう人に限って、「あなたのことを思って言っている」と言います。
しかし、こういう人は人を大切にしません。
こういう人に「こちらの気持ちを分かってほしい」と期待するだけ無駄なのです。
僕は他人に期待をすることをやめたことで、このように考えられるようになりました。
相手は「コントロールできないが、コントロール出来れば『ラッキー』」です。
こう思えるようになれば、心も軽くなりますよ。
心無いことを言う人を大切にする必要がないということを知った瞬間、相手を正したり、注意する必要性がないことに気づきました。
注意したり、相手を正す行為は言う側も、言われた側もストレスになります。
持論ですが、注意は本当に大切な人や、関係性を続けていきたい相手にする行為だと僕は考えています。
どうでもいい人に注意するとエネルギーの無駄になりますよ。

あなたが関係性を続けていかないと決めているならば、きっぱりと縁を切っても大丈夫ですよ。
僕は心無いことを言われた瞬間、即縁を切ることを決めています。
人を大切にできない人と仲良くする必要がないということを知っているからです。

その代わりに僕は人を大切にできるような人間を目指します。

」過去の経験があったからこそ、今がある」という話、実体験があるよ。

ここまで読んで下さりありがとうございます。
後もう一息おつきあいくださいませ。
僕は人を大切にする方法や、対処法を伝えて終わることはしません。
僕自身がこういう経験をして今があることについて話していきたいと考えているからです。
そうすることで、今大きな問題に直面している人に対して、役に立てると考えています。
これからも、このようなことは貫きます。

僕は苛め心無いことを言われました。
家族以外からは自分を大切にされた経験がなくて、自己肯定感も爆下がり状態だったのです。
その結果、」俺には価値がない」と自己嫌悪に陥っていたのです。
人生が終わったとさえも思いました。
しかしながら、人間関係の断捨離がきっかけで、僕の人生が大きく変わり始めたのです。
それが積極的に趣味を探すようになったことです。
「俺は過去にはどんなことをしていた時が楽しかったのか」、「俺には、どういう時が一番ワクワクしていたのか」、「過去に一番達成感があったのはどんな時だったのか」ということなどを自問自答を必死にしました。
これらを考えられるようになっただけでも、過去の自分よりも成長できたのです。
自己肯定感が下がっていた時は、こういうことすらも考える余裕がなかったのです。
前向きになっている自分がすごく嬉しすぎてワクワク感がいっぱいだったのです。
なので、「きっと過去に楽しかったことを思い出せる」と確信もしていたのです。
そして、過去に楽しんでいた趣味を思い出すことができたのです。
それがゲームです。

「またゲームの話かよ」、「もっといいことないのか」と言われますが、どうかお付き合い下さい「笑」。
人間関係を断捨離してから時間はかかりましたが、ようやく一昨年に再びゲームと出会うことができました。
毎日ワクワクすることを自問自答し続けてきたからこそ、全盲になってゲームに再挑戦しようと考えられるようになったのです。

僕はこの瞬間、「全盲でゲームに再挑戦すると、同じ視覚障碍者の人の役に立てる」と考えたのです。
そして、コード・オブ・プリンセスを一昨年にクリア
して、全盲だってゲームができるということを証明することができました。
コード・オブ・プリンセスのクリアがきっかけで、動画配信とブログを書くようになりました。
そして、昨年の夏にコード・オブ・プリンセスの動画配信を無事に終えることができたのです。
動画配信をしながら、ゲームを同時にプレイ
できて一石二鳥だったのです。
コード・オブ・プリンセスのゲーム配信がきっかけで動画編集スキルもレベルアップできました。
これも大きな自信へと繋がったのです。
僕はここからもっと、「より多くのゲームを配信して、視覚障碍者だって、『ゲームができる』ということを証明しよう」と決心しました。
そうすることで、ゲームをプレイする視覚障碍者がどんどん増えると考えています。
今はディオフィールドクロニクルのゲームにハマっています。
僕がこうして今を楽しめるようになったのは、過去の苛めアンチがあったからです。
苛めやアンチを受けた時は悔しさしかなくて、敗北感を味わっていました。
こういうどん底時代があったからこそ、悔しさを糧にすることができました。
仮に「虐められて悔しい」、「いつかは仕返しをして復讐してやる」という黒い気持ちしかなかったら、きっとこうしてゲーム配信もできていなかったと思います。
そして、人の役に立つこともできていなかったでしょうし、ブログも更新していなかったと思います。

一生人を恨んで生きていたのかもしれません。
今だから言えますが、「人を恨む人間にならなくて良かった」と本気で思っています。
いい意味で、苛めやアンチをする人に対して、最高の復讐をすることができたのです。
辛かった過去を自分の力で跳ね返すことができたのです。
そして、自分の力で困難に打ち勝つ能力を手に入れ、大きな自信へと繋がったのです。

その一方で、苛めをしたり、アンチをする人のことを反面教師にできるようにもなりました。
ですので、僕は人を大切にできる人間になりたいと思っています。
今では過去に僕を虐めてきた人や、アンチをしてきた人のことは1ミリも興味がありません。
毎日を楽しんでいるからこそ、こういう人達のことを記憶から消すことができたのです。
仮にこれからも僕を虐めてきたり、アンチをする人が現れたときは、遠慮なく自分から縁を切ります。
こういう人に嫌われても全く気にならないです。
むしろ、「どうぞ、嫌っていて下さい」と心の中で呟きます。

僕の自分軸は、毎日楽しく幸せに過ごすことです。
ブログを書いたり、動画配信をして人の役に立つことがすごく楽しいのです。
「今日」という1日を楽しむと、「明日」という未来も大きく変わります。

その一方で、「今日」という1日を粗末にすると、未来までもが最悪な結果になります。

あなたはどちらがいいですか?
もちろん前者ですよね?
ですので、今苛めを受けたり、人生が辛いと思っている人も人生はいつだってやり直すことができます。
綺麗事ではなくて、本当の話です。
だって、僕が実際に変われたので、あなたも変わることができます。
だからこそ、こうしてブログで堂々と言い切ることができるのです。

その代わりに、いつまでも相手を恨み続けていると、過去の僕と同じ結果を辿ることになりますよ。
一番大切なことは1日を楽しく過ごすことです。
そうすることで、辛い人生から抜け出すことができると考えています。

この記事が皆さんのお役に立てると幸いです。
ということで、僕は「今日」という1日を大切にしながら、楽しく過ごしていきます。

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